オルペウス、イザナキ、ラムプシニトス

 短篇「ラムプシニト」を書くにあたって、シュウォッブはヘロドトス『歴史』第II巻121、122章のふたつのエピソードを利用している。そのうち後者は、エジプト王ラムプシニトスが、冥界の女神のもとへ赴き、金のハンカチーフを手に入れて戻ってくるという内容である。
 ヘロドトスはこの冥界をギリシア人の言うハーデースであるとし、女神をデーメーテールと記している。してみると、このエピソードは、ギリシアでエレウシスの秘儀における祭儀神話として知られた、女神デーメーテールと娘神ペルセポネーの冥界降りの物語と重ねあわせてうけとめられていたに違いない。そのあらましはこうだ。
 冥界の王ハーデースが、豊饒の女神デーメーテールの愛娘、ペルセポネーを地下の世界へ攫ってしまう。デーメーテールの怒りにより大地は荒廃し、供物を受けられなくなった神々にまで災難は及ぶ。結局ゼウスの取りなしによりペルセポネーは還されることになるが、その際に娘神は冥王が差しだした石榴の実を口にしてしまう。その結果、ペルセポネーは完全に地上に戻ることができなくなり、一年の三分の一を冥界で、残りの期間を地上で過ごすことになったという。
 ペルセポネーが、母神のデーメーテールとともに、穀物、とくに小麦の神格化であり、一年の三分の一の死は冬季の麦の枯れるさまを、その帰還は春の麦の新生を象徴するというのは見やすい。エレウシスの秘儀においては、この神話がより一般的な死と再生の概念に結びつき、入信者に対するイニシエーションの儀礼を支えていた。
 ギリシアの神話では、冥界の女王となるのはデーメーテールではなく娘のペルセポネーだが、ヘロドトスの伝えるラムプシニトス王の冥界降りもまたある種の祭礼の起源神話として語られているのを見れば、同じような死と再生の概念が、エジプトの神話の根底にも存在したと考えて差し支えあるまい。
 ところが、シュウォッブはこの神話をそのままのかたちでは用いなかった。ヘロドトスの記述では、この物語は本来のエジプト王ラムプシニトスを主人公とするものであった。直前の121章では、この王が知恵の回る盗賊に出し抜かれ、最後には娘の王女を盗賊の妻として与える話が語られるが、次章の物語とは、同じ王が登場するという以上の関わりはない。しかるに、シュウォッブはこの冥界降りを、先代のラムプシニトス王の娘婿となった、もと盗賊の王ラムプシニトの物語とし、王女と盗賊の結婚で結ばれる前章のエピソードからひとつづきのものに作り変えた。
 このささいなひとひねりはしかし、紡ぎ出された作品のモチーフを大きく変貌させた。妻の死から始まる新たな物語は、むしろギリシア神話の中で名高いもうひとつの冥界降り、亡き妻を取り戻すために地下へと降ったオルペウスの物語を髣髴とさせるものになっている。
 不慮の事故により命を落とした新妻エウリュディケーの後を追い冥界へ降ったオルペウスは、得意の歌で妻を失った歎きを切々と訴え、ついには冥王から妻を連れ帰る許しをとりつける。だが、地上へ帰り着くまで決して後を振り向き妻の姿を見てはいけないという約束にもかかわらず、心配のあまりあと一歩というところでオルペウスは振り向いてしまう。慌てて伸ばした指先は届かず、妻はふたたび冥界へと落ちてゆく。
 よく知られたこの神話とラムプシニトの物語を較べてみれば、妻の死によってもたらされた悲嘆、つづく冥界行、つかの間の勝利、禁止とその違反による非劇的な結末と、両者のあいだに横たわる類似は明らかだ。エジプトのオルペウスとでも呼ぶべき相貌を、シュウォッブのラムプシニトは備えている。
 一方で細部を見れば、デーメーテールとペルセポネーの神話もまた、その刻印をとどめていることに気づく。たとえば、女神ハトホルの差しだす食物を口にすれば二度と地上へ戻ることができなくなるというくだりは、オルペウスの神話にはなかったものであり、冥王の石榴を食べてしまったペルセポネーのエピソードを思い起こさせるものである。そもそも、本来のエジプトの信仰においても、ハトホルの食物は、ふたたび現世へ立ち戻る時まで死後の魂を養うためのものであって、死者を冥界へ足止めするためのものではない。それをペルセポネー型に作りかえたのはシュウォッブの手際である。また、最後の場面、アフーリ王女が麦穂の中に立ち現れる情景も、それだけ見ればやや唐突な印象を受けるが、春に甦る麦穂であったペルセポネーを背景に置くことで、うなずけるものとなるだろう。
 と、ここまで考えてくればどうしても気になるのが、『古事記』および『日本書紀』に語られたイザナキ神の黄泉行のエピソードである。奇しくもシュウォッブの没した1905年、同じフランスの比較民話学者、エマニュエル・コスカン Emannuel Cosquin がその論文 "Fantaisies biblico-mythologiques d'un chef d'école" (ÉTUDES FORKLORIQUES, 1922所収)で指摘したように、イザナキの黄泉行の神話は、妻イザナミとの死別と悲嘆、後を追った夫の冥界行、禁止とその違反、永遠の別離といった、オルペウスの神話に共通するモチーフと、冥界の食物を口にしたことにより地上への帰還が不可能になるという、ペルセポネーの神話に共通するモチーフとを併せ持つ。無論、物語全体として見れば、愛するがゆえにもたらされた過ちによる別れというオルペウス的主題を引き継いだラムプシニトの悲劇と、黄泉の穢れへの恐怖を主調としそこからの隔離をもたらすイザナキの決別とは、本質的に異なるものだ(このオルペウス神話とイザナキ神話の主題の違いは、コスカン自身が指摘している)。なにより、ラムプシニトはこちら側の世界へ生還することなく、永遠の悲劇を生きる存在として描かれている。この点はオルペウスの神話とも異なる、シュウォッブ自身による素材の調理術だ。とはいえ、こと個々のモチーフとそのとりあわせに注目すれば、否応なしにイザナキの神話を連想させられるのもまた事実。そうして見れば、ハトホルの食物を食べた者が完全に地上へ戻れなくなるというくだりなどは、一年の三分の二は地上へ戻れるペルセポネーよりも、むしろ黄泉に留まらざるをえなかったイザナミの運命により近い。
 コスカンが件の論文を著した際に参照したのは、バジル・ホール・チェンバレン Basil Hall Chamberlain による『古事記』英訳(1883)、およびレオン・ド・ロニー Léon de Rosny による『日本書紀』仏訳(1887)だった。1895年にシュウォッブが「ラムプシニト」を執筆した際、イザナキの神話が念頭にあったかどうか、定かにはしがたい。しかし、書痴ともいうべき読書家であり、またスティーヴンソンその他の作家の英訳を手がけるほど英語にも堪能だったシュウォッブのこと、たとえこれらの翻訳に直接ついたわけではないにしても、なんらかのかたちでその物語に触れていた可能性を想像してみることは許されよう。
 だが、よしんばシュウォッブが日本の神話とは一切無縁にこの物語を書いたのだとしても、事実存在するその類似は、無意味な偶合などではないのだ。かえってそれは、シュウォッブが古今東西を問わず普遍的に通用する、力強い神話の元型を用いて、この作品を造りあげたことを顕わにする。ラムプシニトがハトホルとの勝負に二度まで負け、三度目にようやく勝利を手にする展開も、世界中の民話に見られるパターンを律儀に踏襲したものだ。
 それにつけても目を瞠らされるのは、そうした神話的素材を幾重にも折り重ねつつ、あたかもハトホルのパンをごまかしおおせたラムプシニトのような巧みな指さばきで、新たな精彩を作品に与えてみせるシュウォッブの手際の鮮やかさである。ラムプシニトの向こう見ずな大胆さの魅力、それゆえに際立つアフーリへの愛とその帰結がもたらす運命の過酷さは、オルペウスともイザナキとも、またヘロドトスの語ったラムプシニトス王とも異なる輪郭を持った、一個の存在をそこに現前させている。類似の中の差異、差異の中の類似は、シュウォッブがその短い生を貫いて保ちつづけた創作哲学であった。普遍的な知識を個別の詩情に結晶させてみせる、シュウォッブの魔法の面目躍如たるところだろう。