翻訳ノート

画狂老人北斎伝 Hokusaï, le vieillard fou de dessin

古今東西の歴史や伝説に精通したシュウォッブだったが、生前に遺した文章の中で、日本の事物や人物に言及した箇所は存外少ない。そのわずかな例として真っ先に思い浮かぶのが、『架空の伝記』序文に触れられた北斎に関するエピソードだろう。 初の本格的なシ…

ガレー船徒刑囚の歎き La Complainte du Galérien (XVIIème siècle)

マルセイユに着いたとき 俺の心は魂消えた 見たのは徒刑囚の群れ ふたりひと組に繋がれた 俺は芯から魂消えた 逃げ出す手だてはないものか そこへ手痛い綱打ち一閃 否応なしに進まされた ガレー船に乗ったとき 監視人に出会した 怒りに満ちた面つきの カイン…

イタチのオジグ

ロングフェローの長詩『ハイアワサの歌』The Song of Hiawatha (1855) は、北米インディアンの伝説を下敷きにした創作叙事詩として名高い。その第一章と第三章をボードレールがかなり自由な翻訳でフランス語に移し替えているが、うち「平和のパイプ」と題さ…

〈ボトロー〉あるいはヒキガエル奇聞

シュウォッブは読むことが書くことに直結していたタイプの作家だから、その作品を読むこちら側も、表に見えるものだけさらりと読んでおしまい、というわけにはいかなくなる。シュウォッブがなぜこのように書いたのか、考えながら読み進めるうちに、どうして…

妖精の洞穴

「三人の税関吏」の舞台となったのは、ブルターニュ北部の港町、サン=マロ Saint-Malo 付近の海岸である。このあたりは、フランスにおける私掠船の一大拠点だった。この歴史的事実とともに、海の妖精についての昔話を数多く残す海岸部の民俗的風土を、シュ…

アルス島への旅(後篇)

アルスの古名 Arzh は、ブルトン語で〈熊〉を意味する。ブルターニュ地方に多く残るアーサー王伝説の Arthur も、同じ語源に由来する名前だ。ケルトにおいて、熊はある種の力の象徴であるらしいが、なぜこの島が〈熊の島〉と呼ばれたのかは知らない。かつて…

アルス島への旅(前篇)

モルビアン湾は、ブルターニュ南部の大西洋に面した入り海である。東西20kmあまり、南北に10kmあまりの湾内の広さにくらべ、湾を抱きかかえるように向きあうふたつの半島に挟まれた外海への出口は、約700mほどの幅しかない。湾と言うよりも沿海の湖と言った…

オルペウス、イザナキ、ラムプシニトス

短篇「ラムプシニト」を書くにあたって、シュウォッブはヘロドトス『歴史』第II巻121、122章のふたつのエピソードを利用している。そのうち後者は、エジプト王ラムプシニトスが、冥界の女神のもとへ赴き、金のハンカチーフを手に入れて戻ってくるという内容…