2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

琥珀売りの女 La Vendeuse d'ambre

氷河の訪れがアルプスを襲う以前、黒と褐色の山並みを覆う雪はわずか、山肌に氷の穿った圏谷がまばゆい白さに輝く景色もそこにはなかった。今日、荒涼たる堆石の堤と、大小の裂け目がここかしこに崩れやすい口を開けた一面の氷原を見るのみの場所にも、かつ…

〈ボトロー〉あるいはヒキガエル奇聞

シュウォッブは読むことが書くことに直結していたタイプの作家だから、その作品を読むこちら側も、表に見えるものだけさらりと読んでおしまい、というわけにはいかなくなる。シュウォッブがなぜこのように書いたのか、考えながら読み進めるうちに、どうして…

〈赤文書〉 le «Papier-Rouge»

国立図書館にて十五世紀の写本を繙いていた私の目に、ある風変わりな名前が飛びこんできた。その写本には、『悦びの園』にほぼ丸ごと取り入れられた数々の《レー》*1、四人の登場人物による笑劇、そして聖ジュヌヴィエーヴの奇蹟譚が収められていた。だが、…

妖精の洞穴

「三人の税関吏」の舞台となったのは、ブルターニュ北部の港町、サン=マロ Saint-Malo 付近の海岸である。このあたりは、フランスにおける私掠船の一大拠点だった。この歴史的事実とともに、海の妖精についての昔話を数多く残す海岸部の民俗的風土を、シュ…

三人の税関吏 Les Trois gabelous

《おい、ペン=ブラス、聞こえないか?櫂の音だぞ》〈長老〉はそう言って、干し草の山を払いのけた。その下でいびきをかいているのは、沿岸警備を務める三人の税関吏のうちひとり。眠る男の巨大な頭は防水外套になかば隠れ、眉には干し草の茎が突き立ってい…

アルス島への旅(後篇)

アルスの古名 Arzh は、ブルトン語で〈熊〉を意味する。ブルターニュ地方に多く残るアーサー王伝説の Arthur も、同じ語源に由来する名前だ。ケルトにおいて、熊はある種の力の象徴であるらしいが、なぜこの島が〈熊の島〉と呼ばれたのかは知らない。かつて…