妖精の洞穴

 「三人の税関吏」の舞台となったのは、ブルターニュ北部の港町、サン=マロ Saint-Malo 付近の海岸である。このあたりは、フランスにおける私掠船の一大拠点だった。この歴史的事実とともに、海の妖精についての昔話を数多く残す海岸部の民俗的風土を、シュウォッブはこの作品でうまくとりあわせることに成功している。
 〈長老〉の口にする科白の中に、妖精の船を追って洞穴を飛び出た狩人云々、という言葉が見えるが、この「洞穴」は原文に la Houle とある。houle といえば普通フランス語では大波、うねりのことだが、ブルターニュの方言では、 houle もしくは goule は海岸の崖に穿たれた洞穴のことを指す。そしてそのような洞穴は妖精たちの隠れ家であると考えられ、〈妖精の洞穴〉と呼ばれた。
 シュウォッブと同時代に生きたブルターニュ民俗学者、ポール・セビヨ Paul Sébillot (1843-1918)は、こうした〈妖精の洞穴〉にまつわる民話を各地で採集し、生涯に遺した多くの著作の中で紹介している。つい最近、それらをひとつにまとめた本が『洞穴の妖精、セイレーンと海の王』の題名で出版された( Fées des houles, sirènes et rois de mer, Editions Ouest-France, 2008)。この本にはブルターニュ北部の海岸地方でセビヨが聞き採った〈妖精の洞穴〉譚が、五十あまりも収められている。
 「三人の税関吏」の背景となった土地の精神的特色を知る上でも、ここにそのうちのひとつを訳出してみるのも無駄ではあるまい。以下は、小説の舞台にもっとも近いサン=テノガ Saint-Énogat に伝わった話である。


妖精の洞穴 La Goule-ès-fées

 ある晩、産婆のミリーおばさんが家の片隅で椅子に腰掛けていると、戸を叩く音がした。
 扉のかんぬきをはずすと、ひとりの老婆が入ってきて、一緒にサン=リュネールの近くまで来て、子宝に恵まれない生き物を助けてやってはくれまいか、と言った。ええ、よろこんで、とミリーは答えた。靴を履き、寒さに備えて小さな肩掛けをはおる。暖炉の火に灰をかぶせて歩き出すと、前を行く老婆はまるで真昼の道を行くように、細道をずんずん進んで行くのだった。
 家を出てもうだいぶ過ぎたころ、ミリーは海が崖の岩に折れ枝を打ち寄せる音を聴いた。
 −−どこまで連れてくの?とミリーは訊いた。〈妖精の洞穴〉へ行くんじゃないでしょうね?昔はよく妖精を見かけたっていう噂の。
 −−そうだよ、ミリー。老婆は答えた。そこへ行こうとしてるところさ。さあ手を取って。怖がらなくっていいんだよ。崖から落っこちて欲しくないだけさ。ついてきておくれ。仕事の相手は、おまえさんとなんにも違いやしないよ。
 ミリーはよっぽど家の片隅か寝床の中でじっとしていれば良かったと思ったけれど、もう後の祭り。見えない道でもあるかのように崖の縁をどんどん進む相手に引っ張られて行くしかなかった。
 ついにふたりは〈妖精の洞穴〉にたどりついた。そこは本当に大きな洞窟で、フレエルの崖の下にあって、天気の良い日には街の紳士連が見物にやってくるプーリフェやサール=ア=マルゴーの洞窟とほとんど変わらないほどだった。寝台の上に若い婦人が横たわり、まわりを女たちが囲んでいた。ミリーの手助けで、ほどなく小さな可愛らしい赤ん坊が生まれた。まるまるとした身体の重みは、七リーヴルと四分の三*1ほどもあるだろうか。いや八リーヴルにあと四分の一と言ってもいい。
 まわりの女たちがミリーに箱を手渡した。中には、半透明の膏薬のようなもの、こう言っちゃなんだが豚のラードみたいなものが入っていた。これで赤ん坊の身体をさすって、その後はようく手を拭くようにと、女たちが言った。そうしないと、お前に不幸が降りかかるからね。
 ミリーは赤子の身体をさすった。そして自分の目をこするふりをして、片方の目の端に膏薬をちょっとつけてみた。とたんに、まわりの光景は一変した。洞窟は八月十五日、被昇天祭の日の教会のように壮麗で、女たちはまるで王女様がたのように派手な衣裳で着飾っている。サン=マロのお金持ち連中のところでも、プルーバレーやプラールテュイやサン=ブリアの城館でだって、こんなに綺麗な光景は見たことがなかった。ミリーは自分のまわりにも、あらゆる種類の小妖精が飛んでいるのを目にした。親指くらいの大きさで、裕福な殿方みたいな服を着て、腰に帯びた剣はまち針ほどの長さもない。
 ミリーはびっくり仰天した。けれどもそれをおくびにも出さず、妖精たちがいいと言うまで赤ん坊をさすりつづけた。彼女らはたっぷりのお金をくれて、ほくほく顔のミリーを家まで送り届けた。
 それからというもの、小道や、畑の囲いや、あちらこちらに、いろんな妖精の姿が見えるようになった。けれどもミリーは何も見えないふりをしていた。ある日、彼女はサン=ブリアの市に出かけた。トレムルーとプリューデュノーの豚商人が、子豚と種豚を売りに来ていた。すると、いたずら者の妖精たちが、可哀相な男をたぶらかし、なけなしの金を掠め取るのが目に入った。それでもミリーは、妖精たちの悪さに目をつぶっていた。ところが午後になって、カルーゼのあたりに人だかりができ、プランコエのソーセージとエショーデ*2の屋台を取り巻いていたとき、一匹の妖精が、頭巾をかぶった女のエプロンのポケットに手を入れるのを見とがめて、泥棒!と叫んでしまった。すると妖精はミリーの方を振り向きざま、あっという間に指で目玉を引っこ抜いた。よけようとする間もなく、ミリーはたちまち片目を無くしてしまったとさ。
(初出 Littérature orale de la Haute-Bretagne, 1881)

 

訳注

*1:1リーヴルは500グラム。

*2:茹でた生地をかまどで焼いて作る菓子。