アルス島への旅(後篇)

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 アルスの古名 Arzh は、ブルトン語で〈熊〉を意味する。ブルターニュ地方に多く残るアーサー王伝説の Arthur も、同じ語源に由来する名前だ。ケルトにおいて、熊はある種の力の象徴であるらしいが、なぜこの島が〈熊の島〉と呼ばれたのかは知らない。かつてはここにも熊が棲息したのだろうか。
 その〈熊の島〉北端の港に降り立った午後、あたりはまだ靄がかった冷たい空気に覆われていた。

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 修道士島に面した島の西縁に沿って歩き出すと、間もなく細い堤防で水際を仕切った潟が現れる。300mほどの堤防の中腹に石造りの小さな小屋があり、側面には水車がとりつけられている。水車脇の堤防には海水の出入りする開口部がある。満潮時に水を溜め、引き潮の際に水車を回す水力を確保するためのものだ。

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 16世紀に建てられたこの水車小屋では小麦が挽かれ、アルス産の小麦粉は他の島や湾岸の村にまで輸出されていたそうだ。18世紀の半ばに、より北寄りのベリューレ Béluréの地に風車が造られると、生産の主力はそちらに移ったが、1910年までは水車も同時に稼働していたらしい。一方ベリューレの風車は、島の反対側のケルノエル Kernoël に建設された新たな風車にとって替わられ、1836年以来使用されなくなっていたという。

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 してみると、シュウォッブの生きた時代、島には一基の水車と二基の風車が存在し、そのうち一基の風車は動いていなかったことになる。シュウォッブの文章には、deux moulins faisaient tourner leurs ailes とあり、moulin はフランス語で水車・風車どちらをも指す(水車は moulin à mer、風車は moulin à vent)ので、二基というのがどれとどれを指すのかが問題だが、羽根を回しているというのだから、この水車と、ケルノエルの風車ということになるのだろう。そこで、訳文では、水車と風車ふたつながら、としておいた。

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 さて、水車小屋の光景を眺めているうち、北の空から雲の合間に青い色が見えはじめた。見る見るうちに灰色の雲は姿を消し、島の中央西端にあたるムーニアン Mounien の岬に着くまでには、さきほどまでの重く沈んだ天候が嘘だったかのような晴天がひろがっていた。

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 岬からは、対岸の修道士島がよく見えた。ほんの数刻前、海上を埋めつくしていた霧はどこにもない。家々の白い壁もはっきりと見える。シュウォッブは、アルス島に上陸した少女とズワーヴ兵が、修道士島の浜から点のように見えたと書いているが、実際それくらいの距離だろう。

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 振り向くと、丘になった中央部の町に、教会の尖った屋根が見えた。婚礼の鐘を鳴らしたのは、あの教会だろうか。
 町への坂道を昇った先にある教会は、小さな島の教会にふさわしく、飾り気のない簡素な建物だった。周りはかつてこの島に生きた人たちの墓に取り巻かれている。黒いスレートのとんがり屋根がいかにもブルターニュ風だ。正面の入り口を飾る彫刻も素朴で愛らしい。

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 パルドン祭の行列は、この教会から出発するそうだ。建物の中にも入ってみたくて赤い扉を押したが、鍵がかかっていたため叶わなかった。

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 町から南側へ降り、海岸を西回りに引き返すことにした。海岸線の多くが林や藪で通りから隔てられている修道士島と違い、アルスではぐるりとひらけた海辺をずっと歩けるようになっている。それが、この島にことのほか明るい印象を与えている。遠浅の海にはあちこちに漁師のボートがつながれ、引き潮の時には牡蠣の養殖棚が水面の下から顔をのぞかせる。暖流と寒流が混じりあう沖合に面し、かつ湾に入れば鏡のように穏やかなモルビアンの海は、絶好の漁場であるに違いない。

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 事実、その晩の宿の食事には、見事な生牡蠣が皿一杯に並べられていた。ヴァカンスを終えたシーズンはずれのこの時期にやって来ることになった巡りあわせに感謝した。鱈のローストを中心にしたメインの皿も盛りだくさんで、食べ終えて満腹した客に向かって、給仕も兼ねるオーナーシェフが、「お次はゴエモンのサラダです」と冗談を飛ばすのが可笑しかった。

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 島の南端をまわって北へ折り返した少し先に、突き出た砂州の先の土地が、修道士島へ接近している箇所がある。道沿いに眺めると、いまにも岬同士が触れあいそうなほど近くに見える。いや、実際にくっついていた、という話があるのだ。
 地元で売っているガイドブックの類を開くとたいてい載っている伝説によれば、その昔、アルス島と修道士島とは一筋の道でつながっており、住民は足を濡らすことなく互いに往き来ができたという。そんなある時、修道士島の富裕な船乗りの家の息子が、アルス島の貧しい漁師の娘と恋に堕ちた。これに怒った青年の両親は、息子を島の僧院に幽閉してしまう。しかし、娘は毎晩欠かすことなく、海上の細道を渡って向かいの島に通い、僧院の壁の下で見えない恋人のために歌を唄った。娘のこの振る舞いに苛立った僧院長は、海の精霊の力に訴える手段に出た。一夜、娘がいつものように恋人のもとへと急いでいると、にわかに大波が襲いかかり、島をつなぐ隘路を打ち砕いてしまった。娘は波に呑みこまれ、以来、ふたつの島は海に隔てられることになったのだった。

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 伝説のヴァージョンによっては、アルス島の青年と修道士島の娘とのあいだの出来事だったとするものもある。いずれにせよ、どちらの島にもかつて僧院が実在したという話は聞かない。それでも、島の人々は、いまも島と島との境の海に、娘の歎き声を聞くことがあるという。

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 島の伝説では、娘の身の上には哀しい結末が待っていたが、反対に「アルスの婚礼」では、少女は見事に思いを遂げた。ズワーヴ兵の乗った舟へと一瞬で飛び移る少女の姿は、恋などといった言葉では捉えきれない軽やかさに満ちている。島に生まれた娘とは逆に、流れ者の少女はどんな人間同士のしがらみにも煩わされることなく、ただただ無垢な希望を追って、束の間の友となった語り手の指先からするりと抜け出していってしまうのだ。

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 野性的ではあってもあくまで純粋で汚れなく、手を伸ばしても風のようにつかみどころのない少女は、さまざまな相貌の下に、シュウォッブの多くの作品の中に現れる。「アルスの婚礼」の少女もまた、シュウォッブが生涯理想の中に追い求めた幻の化身であっただろう。

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 水車小屋のある堤防まで戻る頃には潮はすっかり満ち、さきほど潟の所々に見えていた叢はみな水の底に沈んでいた。小屋を通り過ぎ、後の水車をふり返ると、向こう側の西南の海に、太陽が傾いてゆくところだった。明日からは冬時間の始まり、夏の時間がこれで終わる。小説の結末と同じように、ここでも夕陽が水車を赤く縁取っていった。