二重の心

序文 Préface

I 人の生はまずそれ自体興味をそそるものである。だが、芸術を単なる絵空事に終わらせたくなければ、人生を、それを取りまくものとの関連において捉えねばならない。意識を持った生物は、個的な存在としての深い根を持つが、同時に、社会が彼のうちに多くの…

琥珀売りの女 La Vendeuse d'ambre

氷河の訪れがアルプスを襲う以前、黒と褐色の山並みを覆う雪はわずか、山肌に氷の穿った圏谷がまばゆい白さに輝く景色もそこにはなかった。今日、荒涼たる堆石の堤と、大小の裂け目がここかしこに崩れやすい口を開けた一面の氷原を見るのみの場所にも、かつ…

〈赤文書〉 le «Papier-Rouge»

国立図書館にて十五世紀の写本を繙いていた私の目に、ある風変わりな名前が飛びこんできた。その写本には、『悦びの園』にほぼ丸ごと取り入れられた数々の《レー》*1、四人の登場人物による笑劇、そして聖ジュヌヴィエーヴの奇蹟譚が収められていた。だが、…

三人の税関吏 Les Trois gabelous

《おい、ペン=ブラス、聞こえないか?櫂の音だぞ》〈長老〉はそう言って、干し草の山を払いのけた。その下でいびきをかいているのは、沿岸警備を務める三人の税関吏のうちひとり。眠る男の巨大な頭は防水外套になかば隠れ、眉には干し草の茎が突き立ってい…

アルスの婚礼 Les Noces d'Arz

バデール*1の下方、モルビアン湾*2を見下ろす丘の頂に、私たち−−私の馬と私−−は到着した。わが乗獣は潮の香の混じる空気を吸いこみ、頸を伸ばし、岩の割れ目からわずかに生えたヒースを毟りはじめた。私たちの足下で、丘は降るにしたがい舌の形にすぼまって…