アルスの婚礼 Les Noces d'Arz

 バデール*1の下方、モルビアン湾*2を見下ろす丘の頂に、私たち−−私の馬と私−−は到着した。わが乗獣は潮の香の混じる空気を吸いこみ、頸を伸ばし、岩の割れ目からわずかに生えたヒースを毟りはじめた。私たちの足下で、丘は降るにしたがい舌の形にすぼまって、海の際までつづいていた。私は地面におり、馬の鼻面を曳きながら、どこかに繋いでおける家畜小屋はないかと探し求めた。少し降ると、虫の喰ったなにかの草を植えた痩せた囲い地があり、がたついたあばら屋が建っていた。私は錆びた輪に手綱を結び、掛け金のぶら下がった扉を押した。黒服の老女が、長持を兼ねた寝床になかば横たえていた身を起こした。話しかけようとすると、彼女は自らが聾唖であることを身振りで伝えた。老女が黒い長衣を指し示すのを見て、私は彼女がやもめであると知った。私の馬に水を見つけてきてくれる男はいないということか。遠くで晩課の鐘が鳴り、老女は〈ねずみの尻尾〉つきの煙草入れ*3に入れる嗅ぎ煙草の貯えを買いに街へ出かけてしまった。それでも、私の馬は小屋の蔭で食事を終えて、恙なく過ごしていることだろう。辺りで唯一の生き物である一匹の豚と喧嘩してさえいなければ。
 そこで私は、岩場の小さな堤までゆっくりと降ってゆき、渡し守を待った。小石の浜を洗う水面の彼方には修道士島*4が、まばらな草原と、崩れた石積みの壁を抱いて横たわっていた。その奥には灰色の民家と鐘楼の先端が点描のように望まれる。日中の暑さが少し和らぎ、心地よい静寂に包まれた私の耳に、波に打ちあげられ干涸らびた海藻を踏み割る音が聞こえてきた。堤に降りてきたのは一人の少女だった。歳の頃は十五といったところか。日焼けしてそばかすだらけの顔に、髪はスカーフでまとめ、襟刳りの深い胴着の、くたびれた細いリボンをはためかせた彼女は、素足の上にぶ厚い木靴を履いた足で、苦労しながらのろのろとやってきた。雑巾を縫いあわせたような小物入れをムラサキイガイの群落の上に置くと、木靴を脱ぎすて、そして私の方には見向きもせずに、ひたひたと打ち寄せるさざ波に足をひたした。大きな竿で小舟を押しやりながら、渡し守が近づいてきた。岸へ漕ぎ寄せるや否や少女は飛び乗り、前方に腰を降ろした。
 頭上では、私の馬が扉の隙間から鼻面をのぞかせ、生ぬるい空気を吸っていなないた。水夫は吹き出ものを押しつぶしながら、娘を鼻先で示し、私に目配せをしてよこした。彼女はモルビアン湾の奥、水車と風車がふたつながら羽根を回すアルス島*5の方へ顔を向けていた。反対の方角にはガヴリニス島*6が、彫刻の刻まれた洞窟の上に身をかがめている。空の蒼を映した海が、緑なす島々を抱いている。ヒバリの群れがほのかな糸を曳いて空中をすべり去った。
 修道士島は、アルス島に面した島である。パルドン祭*7の日々には、アルス島へ往来する舟が白い帆を連ね、ふた筋の列をなして蛇行してゆく。この祭りの間だけ、修道士島の娘たちは、ふだんの長衣と黒いヴェールを脱いで、刺繍入りのベストと、箔をちらしたビロードのリボンを身にまとう。エテルやチュディー島の漁師とともにイワシ漁へ出る男たちが、彼女たちがアルスの娘たちと一緒に踊れるよう、連れていってやるのである。修道士島の娘たちの肌は白くきめ細やかで、手はほっそりと、眸は黒く、髪はブロンドである。かつてこの群島にはスペインの入植地があったが、いつしか失われたのだという。アルスの娘たちは栗色の髪をして、生き生きとよく笑う。いつでも、この地方では名高い衣裳を身に着けている。彼女たちは、修道士島の娘の柔らかな金髪が大好きだが、黒いヴェールが脱ぎすてられるのは、この祭りの最中だけである。そして婚約を交わした修道士島の男は、婚礼の前に許嫁をアルスへ連れてゆく。
 さて、道すがら、私は小さな連れと語り合った。彼女の荷を軽くしてやるため、私は肩に担いだサーベルの先に、彼女の小包みをひっかけて歩いた。野を区切る石壁に挟まれた長い通りや、村の狭い路地を私たちは通り過ぎた。ベールを被った蒼白い娘たちが、こちらをこっそりと窺っていた。物言わぬ犬どもが、物欲しげな鼻面を向けて私たちを見上げた。
 少女は、これまでどうやってこのブルターニュの地を旅してきたか、覚えている限りのことを私に語って聞かせた。始めのうちは母親と、後にはまぶたの腫れた老人に連れられ、サン=タンヌ=ドーレの傍にある殉教者の野で、乞食どもに混じって野宿をした。ロザリオとマリアのメダイユを売る者がたくさんいた。彼らは、仲間うちでは耳慣れない言葉で話し、夜になると鍋のまわりで、また秣の寝床を争って喧嘩した。老人は、首輪で繋いだ二頭の犬に牽かせる小さな車を見つけ、ずた袋と棍棒を持ち、裕福な外国人の訪れるカルナックとプルアルネルへ物乞いに行った。旅芸人の古馬車と同じくらい大きな車で旅行中の英国人たちが、サン=ジルダ=ド=リュイまでの数日間、彼女を養ってくれた。それからは、道から道へとさまよった。若者や子供たちの群れが、彼女のそばかすをからかった。ある日、アルスの婚礼へ行けば結婚相手が見つかるよ、と言われた。でも気をつけな、アルス島には娘っ子しかいないんだ。結婚したい相手がいたら、熟す前のナナカマドの実を七つ食べさせくっちゃいけない。そしたら娘は男に変わるのさ。
 私は、アルス島に行ったらきっと笑われるぞ、と彼女に言った。それに、アルスの娘が選ぶのは修道士島の娘たちだけだ。しかし、彼女は首を横に振った。
 私たちは海辺まで駈け降りた。小舟が波に揺られていた。水面を跳ねる小石のように、笑い声がこだました。砂浜に寝そべって、一人のズワーヴ兵*8が渡し守を待っていた。まだ若く、しなやかで、髭のないその男は、三箇月の休暇でオーレへ帰る途中に立ち寄ったものの、アルスの集まりを見物に行くにはいささか遅すぎたのだった。娘たちはすでに出発し、ここへは還ってくる舟ばかり。一艘の小舟が私たちの方へ近づき、赤いベストを着けた美しいブロンド娘が、息を切らせて恋人とともに降りてきた。ズワーヴ兵はゆっくりと立ち上がり、娘を眺めてため息をついた。掌でズボンをはたいてふくらませ、脚絆の砂を払うと、横目でちらりと私の小さな友を見て、乗船した。少女は瞬く間に小舟へ飛び移った。私には、サーベルに掛けた荷物を渡す暇もなかった。波打ち際で、私は彼女に呼びかけた。だが、帆をふくらませた風に、私の叫びは運び去られてしまった。私はなおも長いこと少女を見守った。彼女は疲れた足を木の腰掛けに載せた。むきだしのふくらはぎに、ズワーヴ兵が、緋色の花を縫いとった青いベストをひろげて掛けた。
 アルス島では、夕陽が水車を赤く縁どっていた。くたびれ顔の娘たちを載せた小舟が、ひとつまたひとつと戻ってくる。その間も私は、白い帆を目で追いつづけていた。入り江の灰色がかった岸辺を、ふたつの点がゆっくりと登ってゆくのが見えた。きっとあのズワーヴ兵は、わが友の身体を支えてやっていることだろう。夕べの霧のなかで、お告げの鐘が小さく鳴るにつれ、あの乞食娘をからかった男たちは、ひとつも間違ってなどいなかったのだという気になった。そしてアルス島の鐘の音は、婚礼のチャイムを思わせて響きわたった。


訳注

*1:モルビアン湾周辺にこの地名 Bader は見当たらない。モルビアン湾西岸一帯の地名バーデン Baden の誤植と思われる。

*2:フランス、ブルターニュ地方南部の大西洋に面した湾。突き出た半島に両側から囲まれた内海に数十の小島を擁する。モルビアン(Morbihan)の名は、「小さな海」の意のブルトン語に由来。

*3:楕円形をした木製の小型煙草入れ。蓋を開けやすいように、細長い革のひもがついている。

*4:湾内にあるふたつの有人島の一。九世紀、内陸のルドンにある修道院に領地として寄進されたことからこの名がある。

*5:湾内のもうひとつの有人島。潮の満ち干を利用して動く水車のあることで知られる。

*6:巨石文明期の遺跡で知られる小島。石室の壁には装飾紋を彫りこんだおびただしい数の石板が用いられている。

*7:ブルターニュ地方で夏期に行われる祭礼。この際に一年間の過ちを懺悔すれば許されるといい、アルス島では聖母と船の像を担いだ若者の行列が村の各所を巡る。

*8:1831年アルジェリアで設立された歩兵部隊。もとベルベル人のズワーワ族によって構成されたのでこの名がある。北アフリカ植民地などでの戦闘に従事し、1870年代以降にはフランス人徴集兵が主力となった。