序文 Préface

 I

 人の生はまずそれ自体興味をそそるものである。だが、芸術を単なる絵空事に終わらせたくなければ、人生を、それを取りまくものとの関連において捉えねばならない。意識を持った生物は、個的な存在としての深い根を持つが、同時に、社会が彼のうちに多くの互いに入り組んだ器官を植えつけているものだ。生きるためにはこの何千もの器官を通じて栄養を吸い上げねばならず、容易に断ち切るわけにはいかない。個の保存へと向かう利己的な本能がある一方で、個人を取りまく他者の存在もまた欠かすことができないのだ。
 人の心は二重である。そこでは利己心と思いやりとが均衡をはかり、個人と大衆とが釣りあいをとっている。自己の保存は他者の犠牲と裏腹である。心のふたつの焦点は、私の内奥にあるとともに、人類の内奥に位置するものでもある。
 かくて、魂はひとつの極からもう一方へ、固有の生の発露から万人の生の発展へと往き来する。だがここに進むべき道があり、行き着くところは憐れみである。この書はその行程を示したものなのだ。
 生きるために必要な利己心は、個人の存在に関わる不安を生みだす。われわれが〈恐れ〉と呼ぶ感情がこれである。自らを苛むこの不安を、他者のうちにも認め得た時、人は社会の中で己れの置かれた位置を正しく理解するにいたるのである。
 とはいえ、恐れから憐れみへといたる魂の歩みは鈍くまた険しい。
 この恐れはまずはじめ、人の外側にあるものである。それは超自然の要因や、魔術的な力への確信、古代人があれほどまでに大々的に描き出した運命への信仰といったものから生みだされる。「吸血鬼」においてわれわれは、自らの迷信の犠牲となった男に出会うだろう。「木靴」は、退屈な人生とひきかえに取り交わす契約の魅力、どのような対価を払っても、たとえそれが地獄という対価であっても、浮世の生を棄て去ることの神秘な魅力を示しだす。「三人の税関吏」になると、われわれの外にあって密やかに恐れへと導く観念は、黄金への欲望というかたちをとってあらわれる。ここでは、激しい恐れは唐突に起こったできごとのめぐりあわせから生まれる。つづく三つの物語は、偶然もたらされた事態−−「〇八一号列車」ではなお超自然的だが、「顔無し」では現実的な−−が、人の力ではどうすることもできない状況によって、強い恐れを惹きおこす例を示している。
 恐れが人の内側にあるものとなっても、はじめはまだ我々にとって掌握しがたい原因−−狂気、二重人格、疑心暗鬼など−−によるものである。だが、「ベアトリス」「リリス」「阿片の扉」ともなれば、恐れを生みだすものは人間自身、およびその官能の追求−−究極の愛であれ、文学であれ、この世ならぬ珍らかなものごとであれ−−である。
 内なる生に導かれ、阿片の扉をくぐり抜けて、この種の昂揚の虚しさへとたどりついたとき、人は恐れをもたらすものごとをいくぶん皮肉な目で眺めるようになるが、度を越して研ぎ澄まされた感覚が、なおも神経を苛みつづける。平穏で満ち足りた暮らしは、魔術によって呼び起こされた恐れ、人の外側にある恐れ、超自然的な恐れを感じる精神を抑えこもうとするが、こうした物質的な暮らしは、「太った男」においても、「卵物語」においても、人生の最終目的であるとは思われない。そしてここでもまた迷信が我々を悩ますこととなる。
 「導師」にいたり、人は恐れの奥底をかいま見る。そして心のもう片側へと突きぬける。他者のうちに、悲哀を、苦しみを、不安を思い浮かべる。自己の内側からすべての人間的な恐れ、あるいは人間を超えた恐れを追い払い、もはや憐れみだけを知ることとなる。
 「導師」の物語は、読者をこの書の第二部《貧者の伝説》へと導き入れる。人が抱き得るあらゆる種類の恐れ、それを、一連の系譜をなす犯罪者たちが、時代から時代へと、今日にいたるまでくり返し生みだしつづけてきた。愚か者と恵まれぬ者たちの行動は、恐れによってもたらされ、またその恐れをひろめてゆく。迷信と魔術、黄金への渇望、官能の追求、粗暴で無分別な生き方、このように多くの罪の要因が、「サン・ピエールの華」では来たるべき死刑の幻視へといたり、「スナップ写真」では死刑そのもの、その恐るべき現実にたどりつく。
 あらゆる恐れを味わいつくし、惨めな者たちの苦しみに恐れの具現化した姿をみとめた後には、人は憐れみ深くなるものである。
 「導師」までの物語においてもっぱら描き出された内なる生は、「琥珀売りの女」からギロチンにいたる恐怖の作品群を追うときに、一種歴史的な歩みをたどることとなる。
 人々はこうした惨めさに憐れみを抱き、社会をつくり直そうと企てる。〈恐怖政治〉によって恐れを追放し、どんな貧者も物乞いもいない新しい世界を創造しようと試みる。大火は数学的に計算され、爆発は論理によって制御され、ギロチンは空を飛ぶようになる。殺人は、主義に基づいた、ある種の同毒療法として行われる。黒い夜に紅い星が満ち、夜の終わりは血のようなオーロラに覆われよう。
 すべては善き、正しきものとなるのかもしれない。もしも極度の恐れが一切を呑みこんでしまうことさえなければ。もしも人々のいま抹殺しようとするものに対する憐れみが、これから造りあげようとするものに対する憐れみに勝ることがなければ。もしもひとりの子供のまなざしが、人の世に尽きることのない殺人者たちの足もとを揺るがせるのでなければ。もしも未来のテロの実行犯の胸においてさえ、心がついに二重でなくなるのならば。
 かくて、この書の目的は達せられる。その目的とは、心の径と歴史の径を通り、恐れから憐れみへといたること、外なる世界の出来事と内なる世界の心の動きとの、少なからぬ照応を示すこと、凝縮された生の一瞬に、我々は架空にもまた現実にも、宇宙を再体験するのだと実感させることである。


 II

 古代の人間は、恐れと憐れみが、人の生において担う二重の役割を理解していた。その他の情動はさほど関心に値しないとみなされたが、これらふたつの感情の極みは、魂を隈なく満たすものであった。魂はなんらかの方法で調和を保ち、対称と均衡のもとに置かれねばならなかった。魂の混乱は見過ごすべからざることであった。人々は、憐れみを恐れと釣りあわせる術を求めた。一方の情動が他方にとって代わり、魂が安定を取り戻すと、観客は満足して劇場を出た。芸術に道徳は存在しなかった。求められるべきは魂の平衡であった。どちらか一方の感情のみに支配された心というものは、あまりに芸術性に欠けると彼らの目には映ったのである。
 アリストテレス言うところのカタルシス、すなわちこの魂の浄化とは、おそらくは揺れ動く心に安定を取り戻させること以外のなにものでもない*1。なぜなら、ドラマの中には互いに釣りあいをとろうとするふたつの情動−−恐れと憐れみ−−しかなく、我々とはいたく異なる芸術家の目には、これらふたつの情動の展開こそが興味を惹くものと映るからだ。詩人の追い求めるスペクタクルは、舞台の上には存在しない。それは客席の中にあるのだ。詩人が取り組む対象は、俳優の感じる感情よりむしろ、自身の表現が観客のうちに惹きおこすものなのである。登場人物は、真実、恐れや憐れみをもたらす巨大な操り人形と変わらなかった。人々は描き出された動機をもとに論理的な思考を重ねるのではなく、劇的効果の強さを感じ取るのであった。
 そこで観客が感じ取るものは、心を満たすふたつの感情の極みだけであった。利己心に対する脅威は恐れを生み、分かちあわれた苦しみは憐れみを生む。オイディプスやアトレウスの子ら*2の物語において、詩人がもっぱら頭を悩ませたのは、彼らに降りかかる運命ではなく、その運命が大衆に与える印象であった。
 エウリピデスが舞台の上で愛を分析してみせた際、人々が不道徳だという理由でこれを謗ったのももっともなことである*3。というのも、彼らは登場人物の内なる情動の展開を非難したのではなく、観衆自らのうちに沸き起こったものを非難したのだったからだ。
 愛とは、劇場を二分するこのふたつの情動の極みが混じりあったものとみなされたであろう。なぜなら、愛のうちには、称賛があり、感動と犠牲があり、恐れの色彩を帯びた崇高の感覚があり、思いやりに満ちた同情があり、憐れみから生まれた究極の無私の境地があるからである。おそらく愛のうちにおいて、このふたつの半身は至上の強さで結ばれあう。その一方にはもっとも怯えに満ちた称賛があり、他方にはもっとも誠実に自らをなげうつ憐れみがある。
 恋する女は恋する男にとってのすべてであらねばならず、同じように恋する男も恋する女にとってのすべてでなくてはならない。恋人同士は、かわるがわる相手を自分という中心に惹きつけあおうとする。だが、恐れと憐れみとの結びあいにより、愛はその排他的な利己主義を手放すこととなる。愛は、気高さに満ちた心と、どこまでも私の無い心との、もっとも高貴な同盟に変わる。女たちはもはやパイドラでもシメーヌでもなく、デズデモーナであり、イモージェンであり、ミランダであり、アルケスティス*4であるのだ。
 愛は恐れと憐れみのあいだに位置を占める。愛の表現は、ふたつの感情の一方から他方へといたるもっとも繊細な小径である。愛は観客のうちに、これらをふたつながら掻きたてる。したがって、舞台上の人物たちの魂よりも、より興味を惹くのは観客たちの魂である。
 舞台の上の英雄たちや、それを演じる役者たちの情動を分析することは、もはや批評による芸術の侵犯である。劇中の人物が自らを分析するようなことがあれば、観客もまたそれに倣いはじめる。そこに真実の感動はない。あるのは空論、議論、比較だけである。女性はしばしば、ごまかしの道具としてこの方法を用いる。男性はまた、それを見破るための心の手だてに利用する。美辞麗句は空しく、心理をとやかく言うのは危うい。
 俳優のためでなく、観客のために表現された情動は、道徳的に高い効果を持つものである。『テーバイ攻めの七将』を観た人々にはアレスが乗り移ったようであったと、アリストパネスは述べている*5。戦の熱狂と軍隊に対する恐れが観衆を動揺させる。ふたりの兄弟が互いに殺し合い、次いで、冷酷な命令と差し迫った死にもひるむことなく、ふたりの姉妹が彼らを埋葬し、憐れみが恐れを追いはらう。心は安定を取り戻し、魂はふたたび調和を見いだす。
 このような効果をもたらすには、特別な構成が不可欠である。畳みこまれた筋のドラマというのは、複合的な筋のドラマとは根本的に異なるものである*6。劇的状況は悲劇的な状態の提示部にまるごと示されており、その解決もまた潜在的に含まれている。この状態は対称性のもと、主題と様式の厳密かつ明確な配置とともに提示される。これはこちらに、それはあちらに、といった具合である。
 この不変の対称性を理解するためには、これを自らの芸術の原理としたアイスキュロスの作品を、少しばかり注意深く読めば良い。彼にとって、作品の結末とは、劇的な平衡関係の途切れる地点であった。悲劇とは一個の危機であり、その解決が即ち作品の閉じ目となった。同じころ、アイギナ島において、また少し後にはオリンピアにおいて、天才的な彫刻家たちが、同様の芸術の原理にしたがって、寺院の切妻を、中央の調和の切れ目をはさんで対称的にまとめられ構成された人物像と風景とによって飾った。写実的だが不動の、視覚に訴えかける危機が、全体が各部分を意味づける配置のなかに表現されている。
 ペイディアスとソポクレスとは、芸術における写実主義革命の担い手であった。彼らの作品の人物造形は、我々の目には理想化されたものに映るが、彼らにとっては思い浮かぶ限りの自然そのものであった。人生は、もっとも変動の多い曲線を描いて浮き沈みするようになった。アリストテレスの証言によれば、アイスキュロス劇のある俳優が、ソポクレス劇の俳優について、自然を手本にするのではなく、〈猿まね〉していると非難したそうだ*7。畳みこまれたドラマは、芸術の舞台から消え去った。写実主義の運動は、エウリピデスにおいてさらに際立つこととなろう。
 芸術作品は、危機の表現であることを止めた。人生は、その展開によって興味を惹くものとなった。ソポクレスの『オイディプス王』は一種の小説である。ドラマは、一連の裂け目によって裁ち切られてしまった。危機は、はじまりに位置を占めるかわりに、結末に置かれることとなった。提示部は、先行する芸術においては作品そのものであったが、切りつめられ、生の戯れに場所を譲った。
 かくて、アイスキュロスやポリュグノトス、そしてアイギナ島とオリンピアの巨匠たちよりも後の芸術が誕生した。これが、演劇と小説の分野において、われわれの時代までつづく芸術である。
 行動、人間関係、言語といったあらゆる生の表出と同じく、芸術もまた、時代から時代へ幾度もの繰りかえしを経てきた。芸術が絶えずそのあいだを揺れ動いてきたふたつの極は、対称性と写実主義であったように思われる。対称性において、人生は定まった形をもつ芸術の掟の支配するところとなる。写実主義において、人生はもっとも調和を欠き、屈折した姿のままに再現される。
 芸術は、十二、十三世紀の対称性の時代の後、十四、十五、十六世紀の心理学と写実主義、そして自然主義の時代を通過した。十七世紀には、古代的規範の影響のもと、形式を重んじる芸術が発達したが、その歩みは十八、十九世紀に生じた変化により断たれることとなった。今日、われわれは浪漫主義と自然主義の後に、新たな対称性の時代を迎えようとしている。変わることのない不動のイデアが、移ろい、姿を変えゆく物の形相にふたたび取ってかわるにちがいない。
 新しい芸術が生まれようとするこのとき、原始主義やラファエル前派を顧みず、これらと関わりなく花開いたものだけにこだわるのはやめたほうがよい。アイスキュロスや、アイギナ島とオリンピアの巨匠たちが実践した、魂と肉体の危機の見事な組み立てを見過ごしてはならない。
 ここに収められた物語には、特殊な構成への傾倒が見てとれるだろう。提示部はしばしばもっとも大きな比重を占め、均衡の解決は唐突にして最終的なものであり、精神と肉体の風変わりな冒険が、自己を後にし他者へといたる人間の歩みをたどって描かれるだろう。時にはなにかの断片のように映りもしようが、それはとある全体の一部、とりわけ危機のみが、芸術として表現されたものと受けとめていただきたい。


 III

 この魂と肉体の危機が芸術において果たしうる役割を閲する前に、われわれの周囲をふりかえり、現代の文学における支配的形式、すなわち小説について見ておくべきだろう。
 外的なものにせよ内的なものにせよ、人生の展開そのものが興味を惹くものとなるやいなや、小説は生まれた。小説は個人の物語である。それがエンコルピウスであれ、ルキウス*8であれ、パンタグリュエルであれ、ドン・キホーテであれ、ジル・ブラースであれ、はたまたトム・ジョーンズであれ。とりわけ前世紀の終わりまで、そしてクラリッサ・ハーロウ*9においては、物語は外的なものであった。だが、それが内的なものとなるときにも、創作の骨子が変わることはなかった。魂ノ物語、ソレモマタ物語ニハチガイナイ。
 魂の懊悩が、ゲーテスタンダール、バンジャマン・コンスタン、アルフレッド・ド・ヴィニー、ミュセらの作品の主調となった。アメリカ独立革命により、またフランス革命により、個人の自由が解き放たれた。人々はかつてなく多感になった。一八一〇年に自殺したある公証人見習いは、遺書の中で、真剣な熟慮のすえ、ナポレオンのように偉大にはなれないと思い知ったことが決断の理由だったと明かしている。誰もが、人生で何をするにつけても、こうした感覚を抱くこととなった。われわれが肩に担う振りわけ袋の底には、個人としての幸福が納められていなければならなかった。
 世紀の病がはじまった。人々はそのままの自分を愛されたいと願った。不貞は孤独を呼び覚ました。人生もまた、行き過ぎた切望によって織りなされ、動くたびに引き裂かれる織物となった。ある者たちは神秘主義に身を投じた。なかには風変わりなものも、キリスト教のものも、ばかげた、もしくは不浄なものもあった。またある者たちは、邪悪な魔物につきうごかされ、病んで虫歯のように痛む心を犠牲に捧げた。あらゆる種類の自叙伝が誕生した。
 それから、巨人と化した十九世紀の科学がすべてに侵入しはじめた。芸術は生物学的かつ心理学的なものとなった。カントが形而上学を抹殺してしまった以上、このふたつの実証主義的形式を採り入れるほかはなかった。十六世紀には博学の衣をまとうことが必要だったように、いまや科学の装いが欠かせなくなった。十六世紀がローマとアテネの再誕に導かれたように、十九世紀は化学と医学と心理学の誕生に支配されている。珍奇で考古学的な事実を積み上げようとする欲望に、ものごとを結びあわせ普遍化する方法を見いだそうとする野心がとってかわった。
 だが、芸術精神の普遍化を急ぎすぎるあまり、そこにおかしなずれが生まれ、科学が帰納へと歩みを進める一方、文学は演繹の方向へと向かっていった。
 誰もが綜合について話すこの時代に、誰もその方法を知らないというのも不思議なものだ。綜合とは、個人の心理のさまざまな要素を寄せ集めることではなく、鉄道や、炭坑や、証券取引所や、あるいはまた魂の、詳細な描写をつなぎあわせることでもない。
 そのように心得違いをすると、綜合とは列挙であることになろう。もしも作者が、社交界での恋愛であれ、パリの胃袋*10であれ、一連の相似た瞬間のうちに普遍的な概念を探し求めるならば、それは凡庸な抽象に終わるだろう。生は普遍的なものではなく、個別なもののうちにあるのだ。芸術の極意は個別のものに普遍の幻影を与えることにある。
 社会の個々の部分である人の生を先の手法で示すのは、現代科学をアリストテレス流に実践するようなものである。部分部分をもれなく数えあげることで普遍性を見いだすやりかたは、三段論法の一種である。《人間と馬と騾馬は長命である》とアリストテレスは書く。《ところで、人間と馬と騾馬はいずれも胆汁を欠く動物である。ゆえに、すべての胆汁を欠く動物は長命である》*11
 救いようのない循環論というわけではないが、こうした列挙による三段論法に、科学的な厳密さはかけらもない。実際、すべてをもれなく列挙することがその前提となるが、自然界でそれを成し遂げるのは不可能である。
 ゆえに、心理学あるいは生理学的な細部を、単調な用語でいかに分類してみても、魂や世界に関する普遍的概念を得ることはできない。このように理解し応用された綜合というのは、じつは演繹の一形態である。
 かくて、心理主義小説や自然主義小説は、こうした手続きを踏むことで、自らが援用するふたつの科学のどちらにも背くこととなるのである。
 だが、これらの小説が綜合を誤って用いているとしても、そこで応用されている演繹の手法は、実験科学の領域でめざましい発展を遂げつつあるものである。
 心理主義小説は、登場人物の心理学を提示し、それをこと細かに解説し、そこから生の全体を演繹する。
 自然主義小説は、登場人物の生理学を提示し、本能、遺伝的性質を描写し、そこからその行動の全体を演繹する。
 こうした、列挙的な綜合と結びあわされた演繹が、心理主義小説と自然主義小説に固有の方法をかたちづくる。
 なにしろ、現代の小説家は科学的方法を有すると主張し、自然と数学の法則を文学の形態に還元し、博物学者のように観察し、化学者のように実験し、代数学者のように演繹するというのである。
 だが真に当を得た芸術とは、これと反対に、その本質において科学とは一線を画するものなのではないか。
 ある自然現象を考察する際、学者は決定論にもとづき、その現象の原因と実現の条件を追求する。彼は原因と結果の視点から現象を研究する。自らの手でその現象を制御することによって再現し、一群の宇宙の法則に従わせることによって世界と結びつける。こうして学者は現象から決定可能なもの、決定されたものを導きだすのである。
 芸術家は自由にもとづき、現象を一個の全体として眺める。関連する原因とともに自らの創作に取りこみ、自由な現象として扱う。そして自分自身もまた自由自在にその考察をなすのである。
 科学は必然によって普遍的なものを探求する。芸術は偶然によって普遍的なものを求めねばならない。科学にとって、世界は結び合わされ決定されたものである。芸術にとって、世界は不連続で自由なものである。科学は外に顕れた普遍性を発見する。芸術は内にあって数では示せぬ普遍性を感じさせねばならない。科学の領土が決定論にあるとすれば、芸術の領土は自由にある。
 生きて意志を持った自由な存在においては、その心理学および生理学上の綜合は、ある程度まで決められた条件にしたがうとはいえ、畢竟それらが出会う一連のものごと、経験する環境によって左右される。そうしたものこそが、芸術の対象である。これらの存在は、取りこみ、吸収し、同化する能力を持つ。だが、いつでもわれわれが偶然と呼ぶ、自然と社会の法則の複雑な戯れを尊重しなければならない。この偶然は芸術家にとって分析しようのない、真の〈偶然〉そのものであり、身体と意識を持った有機体に、取りこみ、吸収し、同化することのできるものごとをもたらすのはこの偶然なのである。
 かくて、綜合は生きた存在のものとなるであろう。
 カントはこう書いている。もしも、人の生のすべての条件が、決定可能であり予見可能であるとすれば、われわれは人間の行動を蝕の予想のように計算することだろう*12
 だが、人間に関する科学は、いまだ天に関する科学に追いついてはいない。
 生理学と心理学は、不幸にも気象学ほど長足の進歩をとげてはいない。われわれの小説における心理学が予言する人間の行動も、たいていの場合、嵐のさなかに雨を予想するのと同じほどたやすく見通せるものだ。
 芸術をつうじ、身体と意識を持つ存在を、〈偶然〉がもたらすできごとによって養う手段を見つけねばならない。この生きた綜合を規則で縛ってはならない。そうした理念ももたず、たえず「綜合を!」とわめく輩は、芸術においては足踏みするだけである。プラトンが科学において足踏みすることとなったように。
 《一に一を加えるとき》『国家』においてプラトンは言った。《なにが二となるのだろうか?加算の和そのものだろうか、それとも加算された数の方だろうか?》*13
 同じくらい深く演繹的な精神にとって、一連の数は分析的に生じねばならない。新たな二という存在は、加算が生みだす和のひとつに含まれていねばならない。
 われわれはこう言おう。二という数は綜合的に生みだされるのだと。この加算のうちに、分析とは異なる原理が介入するのである。一連の数の生成は、ア・プリオリな綜合の結果であることをカントは示したのだ*14
 さてまた、生における綜合は、心理学および生理学上の細部を一般的に列挙することとも、あるいは演繹的な体系とも、はなはだ異なるものである。
 こうした生の表現にかけて、『ハムレット』の一節に優る例はない。
 ふたつの劇的な動きが作品を二分している。ひとつはハムレットの外部にあり、もうひとつは内部にある。前者に結びついているのは、フォーティンブラスの部隊が、ポーランド侵攻のためデンマークを通りかかるというできごとである(第四幕第五場*15)。ハムレットは部隊が通りすぎるのを見る。ハムレット内部の動きは、この外部のできごとをどのように取りこむだろうか?ハムレットはこう叫ぶ。


 《なぜ俺はここで身じろぎもせず、
 父を殺され母を穢された怒りに、
 理性も血も沸き立つばかりのこの俺は、
 そのどちらも眠らせてしまおうというのか?面目なくも目の前で、
 死を賭した男たちが二万人も、
 酔狂と取るにたりない名誉のために、
 墓穴へと急ぐそのときに!》


 かくて綜合はなしとげられ、ハムレットは自身の内なる生に外なる生の事象を同化するのである。クロード・ベルナールは、生ある存在のうちに、内的環境と外的環境を区別している*16。芸術家は、自らの内にひそめた生と外にあらわれた生を見きわめ、その作用と反作用を、言葉を尽くしたり議論したりすることなしに、感得可能なものにしなければならない。
 さてまた、感情というのは端から端まで一様なものではない。ある地点では高潮を迎え、ある地点では死んだように眠る。心は、精神的な収縮と拡張を、緊張の時期と弛緩の時期を経験する。この感情の最高地点を、危機あるいは冒険と呼ぶことができよう。外なる世界と内なる世界の二重の揺れ動きが出会いを迎えるたびに、そこにひとつの〈危機〉、あるいはひとつの〈冒険〉が生まれる。そしてふたたび別れるときには、ふたつの生は互いに豊饒を得ているのである。
 浪漫主義の大いなる革新以降、文学は心の弛緩期のあらゆる瞬間、すべての朦朧として受動的な感情を経めぐってきた。決定論にもとづき、心理学や生理学から見た生を描くことが、必然的にたどりついたのがそうした地点であった。大衆の小説も、もしもその中から個を消し去ってゆくのならば、同じ場所へといたることだろう。
 だが、この世紀末はおそらく詩人ウォルト・ホイットマンの至言によって導かれることとなろう。曰く〈自己と大衆〉*17である。文学は激しく能動的な感情を称揚するであろう。自由な人間は、もはや魂と肉体に関する決定論には縛られない。個人は大衆の専制服従することなく、自らすすんで歩みをともにするだろう。そのとき人は、想像力と生の醍醐味へ邁進することとなろう。
 小説という文学形式がつづいてゆくのならば、その領域は必ずや広大なものとなるにちがいない。疑似科学的な描写、教科書的な心理学と誤謬に満ちた生物学をふりかざすのは御法度となろう。創作は部分部分の精確さを増してゆくだろう。用いられる言葉もまた同じ。構成は厳密なものとなろう。新たな芸術は雑じりけなく明快でなければならない。
 新らしい題材を、自らの心のなかに探るにせよ、歴史の過程に、土地の征服やさまざまなものごとの獲得に、あるいは社会の進化のうちに求めるにせよ、そのとき小説はうたがいなく、言葉のもっとも広い意味での〈冒険〉小説、内なる世界と外なる世界双方の危機の小説、個人と大衆の感情の物語となることだろう。


 マルセル・シュウォッブ
 パリ、一八九一年五月


訳注

*1:アリストテレスは『詩学』第六章において、「悲劇とは……行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである」(松本仁助・岡道男訳、岩波文庫)と述べている。シュウォッブの〈恐れ〉と〈憐れみ〉の詩学がこのよく知られたアリストテレスの主張に触発されたものであることは言うまでもない。しかし、『詩学』におけるカタルシスの扱いはあくまで感情に訴えかける技術の問題にとどまり、また〈恐れ〉と〈憐れみ〉両者の関係が問題となることもない。これに対し、シュウォッブは〈恐れ〉と〈憐れみ〉の関係をこそ主題化することで、これを魂の浄化や愛といった倫理上の問題にまで拡大する。

*2:ミュケナイの王アトレウスの一族には、神の呪いにより肉親間の殺人や姦通が相次いで起こった。アトレウスの子アガメムノンや、さらにその子オレステスエレクトラ、イフィゲネイアは、ギリシア悲劇の主人公として好んで取りあげられる。

*3:エウリピデス『ヒッポリュトス』の本文とともに伝来した古注は、これ以前に同題の作品(現存せず)が存在したが、主人公ヒッポリュトスの継母パイドラの描写が好色に過ぎたため、アテナイ市民の反感を買ったと伝えている。このことを指したものか。

*4:パイドラは前注参照。シメーヌはレコンキスタの英雄エル・シドに題材をとったコルネイユの戯曲『ル・シッド』の女主人公。恋人のロドリグ(ル・シッド)に父を決闘で殺された復讐のため、心の内では愛するロドリグの死を国王に願ったが、最後には父の仇である恋人と結ばれる。1637年の初演当時、この行動が不道徳だとして激しい比判を浴びた。一方、デズデモーナ、ミランダ、イモージェンはいずれもシェイクスピア劇中の貞淑、純真な女性。アルケスティスはギリシア神話において夫の身代わりとなって死んだ自己犠牲の行為で知られ、エウリピデスの悲劇の主人公ともなっている。

*5:アリストパネスは『蛙』の劇中にアイスキュロスを登場させ、「軍神アレスで溢れんばかりの劇」である『テーバイ攻めの七将』を観た者は、「誰もが戦に恋い焦がれた」と言わせている。

*6:アリストテレスは『詩学』第十章で、「単純な筋のドラマ」と「複合的な筋のドラマ」とを比較し、前者を逆転(ペリペテイア)あるいは認知(アナグノリシス)を伴わずに変転(メタバシス)が生じるもの、後者を逆転あるいは認知、もしくはその両者を経て変転が生じるものと定義している。ている。ここでいう逆転とは、ある行為が意図とは反対の結果をもたらすこと、認知とはある人物が誰であるかが判明することによって、隠されていた人間関係が明るみに出ることを言う(第十一章)。逆転をともなう認知がもっともすぐれたものとされ、その例として、ソポクレス『オイディプス王』の主人公が自分の出自を知り、父殺しおよび母との姦通の事実に気づく場面が挙げられている。「このような認知は逆転を伴うとき、あわれみか、おそれか、そのどちらかを引き起こすであろう」とするアリストテレスにとって、複合的な筋のドラマは単純な筋のドラマに勝るものであった。しかし、シュウォッブはこの複合的な筋のドラマに対し、さらに別の概念を対置する。ここで「畳みこまれた筋のドラマ」と訳した le drame implexe について、シュウォッブはこれを、ソポクレスよりも古いアイスキュロスの作劇法を範として説明するが、むしろ、筋の展開というべきものをほとんどもたず、物語の提示部から結末へ直結することの多いシュウォッブ自身の特異な作風をよりよく説明する。この対置を通じ、シュウォッブはアリストテレスの主張から踏み出し、独自の文学史観の上に自らの創作を位置づけるのである。

*7:アリストテレス詩学』第二六章にこのエピソードが見える。

*8:エンコルピウスは、ペトロニウス『サテュリコン』の、ルキウスはアプレイウス『黄金のろば』の主人公。

*9:十九世紀イギリスの小説家サミュエル・リチャードソンによる書簡体小説『クラリッサ』の女主人公。同様の手法による第一作『パミラ』は、近代小説誕生の画期とされる。

*10:『パリの胃袋』はエミール・ゾラの小説の題名。前段落からの例は、ゾラの自然主義小説を暗に批判するものである。

*11:アリストテレス『分析論前書』第二書第二三章。

*12:カント『実践理性批判』第一書第三章。

*13:この引用文は、実際には『パイドン』96e-97aに見える。

*14:カント『純粋理性批判』緒言第五節。カントはこの緒言で、分析的判断と綜合的判断を対比して論じている。ここでいう分析的判断とは、述語Bが主語Aの概念のなかにすでに含まれているような判断を指し、「物体はすべて延長を持つ」というのがその例である。この場合、「すべて延長を持つ」という物体の性質は、「物体」という概念そのものの中にすでに含まれている。一方、綜合的判断とは、述語Bが主語Aと結びついてはいるが、しかし主語Aという概念の外にあるような判断を指し、「物体はすべて重さを持つ」というのがその例である。この場合、「すべて重さを持つ」という物体の性質は、経験によってのみ知られるものであり、主語と結びついて認識を拡張する。さらに数学的命題は、経験による判断の基盤を必要としないア・プリオリな綜合的判断であるとされる。シュウォッブはここで、カントのいう綜合を、部分と部分を結びあわせることで、もともとの部分に含まれていなかったものを新たに生みだす芸術行為を示す用語として用いている。そして以下の部分で、『ハムレット』を例に、人間の内的な心理に、偶然によって左右される外的なできごとが結びついたとき、心理だけ、できごとだけをどれだけ分析的に描いても到達することのない、新たな創造が綜合的になされることを示すのである。

*15:以下の引用文は、実際には第四幕第四場に見える。

*16:クロード・ベルナールは十九世紀フランスの生理学者。実験医学の先駆者の一人に数えられる。

*17:「自己」 One's-Self と「大衆」 En-Masse は、ホイットマン『草の葉』の通奏低音となるキーワードである。この二語の組み合わせは、巻頭の「自分自身を私は歌う」や、終盤に置かれた「私の歌のテーマは小さいけれど」などに見える。