ガレー船徒刑囚の歎き La Complainte du Galérien (XVIIème siècle)

 マルセイユに着いたとき

 俺の心は魂消えた

 見たのは徒刑囚の群れ

 ふたりひと組に繋がれた

 俺は芯から魂消えた

 逃げ出す手だてはないものか

 そこへ手痛い綱打ち一閃

 否応なしに進まされた

 

 ガレー船に乗ったとき

 監視人に出会した

 怒りに満ちた面つきの

 カインにおとらぬ卑劣漢

 手には剃刀ぶらさげて

 俺の髪の毛剃るための

 もはや潮垂れるほかはない

 生きる気力も失って

 

 裏切り者の悪党が

 俺の頭を剃りあげた

 はや虫の息のこの俺は

 魂の緒も絶え入るばかり

 やつはなおもまたこう言った

 《下衆め、お前の服を脱ぎ

 王の支給の服を着ろ

 脱いだその服は俺のもの》

 

 俺がもらった服はといえば

 粗末な布で織り上げた

 真っ赤なシャツが一枚に

 それからこいつ、縁なし帽

 両の足には鎖をはめて

 罪を歎くがいいときた

 俺の耐え忍ぶ苦しみは

 地獄の亡者と変わらない 

 

 字の書き方も教わった

 ちょっと変わったやり方で

 俺がもらった羽ペンの

 長さは三十ピエもある

 インクは尽きることがない

 海の水こそがそのインク

 水掻く櫂が羽ペンで

 船漕ぐ術を教わった

 

 裁きの庭のお歴々

 俺を徒刑に追いやった

 ガレー船の甲板で

 友から遠く離されて

 足枷はめて繋がれた

 獰猛なライオンのように

 打たれ、責め苦に苛まれ

 手痛い棒が降りかかる 

 

 誰がこの歌を作ったかって?

 そいつはピエール・ド・ブラティ

 生まれ出でたる街の名は

 ケルシー地方のカオールさ

 告発されたその罪は

 われと我が身を護るため

 学生ひとり殺めたことさ

 俺は無実だ誓うとも 

 

  (原詩底本:Édouard Baratier, Documents de l'Histoire de la Provence 1971)

 

f:id:suigetsuan:20201206112641j:plain

ガレー船を漕ぐ徒刑囚たち(Documents de l'Histoire de la Provence より)