闇塩売り Les Faux-Saulniers

シャルル・モラースに

 どういうわけで王のガレー船の櫂を漕ぐこととなったのか、それを話すのは屈辱に過ぎる。だが、十五ピエのペン*1を握って水に数書く人種は五通り、トルコ人*2か新教徒、塩の密売人に脱走兵、それに窃盗犯−−その中から最悪と思うものを選べばいい。たぶんそいつが俺だ。マルセイユガレー船も俺は知ってる。二十四艘の、太陽王の持ち船だ。あそこでなら徒刑囚も幸せというものだ。沖では陽射しは強烈で、汗も毒虫もものすごい。鎖は重くまとわりつくし、船底に溜まった水のひどい臭いが疫病の素になる。けれども港では、監視官とトルコ人に二リヤールずつ、引率役の監視兵に五リヤールの金さえ払えば、街に繰り出して馴染みの女にも会えるし、波止場で仮の店を開くことだってできる。大西洋には六艘のガレー船が配置されている。運のないことに俺はそこにいた。霧や雨には苦しめられるし、途方もない高波が来て、五人がかりで抱えた櫂をいっぺんにもぎ取っていってしまう。甲板を洗う潮が乾パンを濡らし、寒さに飢えはいや増してゆく。一日の食べ物といえば、熱い湯に少しばかりの油とインゲン豆を入れたスープ《ジャフル》が十時に出されるばかり。漕手の徒刑囚たちに注いでまわられる粗末なワインの《ピクローヌ》は少しも身体を暖めてはくれない。
 ガレー船の平たい甲板の真中をずっと、大きなベンチが走っている。そこにまたがった三人の《コミト》*3が俺たちを鞭で叩く。そいつが振りおろされるたび、一度に三人ずつの背中が打たれる。甲板の下には弾薬や糧食を貯えた六つの部屋があり、それぞれ〈ガヴォン〉、〈スカンドラ〉、〈カンパーニュ〉、〈パイヨ〉、〈タヴェルヌ〉、〈シャンブル・ダヴァン〉と呼ばれている。それからもうひとつ狭くて真っ暗な部屋があり、二ピエ四方の昇降口だけで外とつながっている。部屋の両端には《トラール》*4と呼ばれる二つの壇がある。甲板までの高さは三ピエ、壇と壇とのあいだにはバケツがひとつ置かれている。ここがガレー船の病室なのだ。病人は鎖をつけたままこのトラールに横たわる。熱の出た時は手足と頭で甲板を打つ。そこでは死にかけの病人の間を這いまわり、バケツからは絶えず顔をそむけていなくてはならない。
 緑の大西洋を赴く俺たちの仲間には塩の密売人がいた。というのも、塩はブルターニュの沿岸では高価で、ひとかけらがほとんど二エキュもするのだ。一方、ブルゴーニュではもっと安く買うことができる。だからといって他の地方で仕入れた塩をブルターニュへ持ちこむ者は、塩税法を侵すこととなる。国王が彼らを捕らえさせ、烙印を押し、俺たちと一緒に徒刑へ送り出すのだ。船に脱走兵はひとりもいなかった。連中を見分けるのは簡単だ。顔には太陽の陽射しにも乾くことのない大きな疵痕があるから。軍役から逃亡したかどで鼻と耳をそぎ落とされ、両の目の間を虫に囓られているのだ。だが、陽気な盗賊連中なら何人かいた。やつらは決して絶望したりしない。額か肩に綺麗な百合の烙印*5を押され、中には絞首台の赤い紐を首輪にしている者もいた。
 闇の塩をひさぐ男たちは俺たちよりも忍耐強く、灰色の空や黄色と緑の海には慣れていた。だが彼らが笑ったところは見たことがない。その顔にはいつもやるかたない憤懣が浮かんでいた。マルセイユで一緒だった連中も、徒刑囚相手の女たちがいる港の白い家へ、監視兵に連れられて繰り出すことなど絶えてなかった。それは、塩の山のあいだで暮らしていた頃連れ添った身持ちの堅い娘たちに、この苦難の時にもつねに信を尽くしているからだという噂だった。
 一七〇四年、謝肉祭の火曜日の夜、俺たちのガレー船〈壮麗〉号は、ゴール人たちの土地の岸辺を横に見ながら停泊していた。船長のダンティニー氏が、士官たちとともに、三人の《コミト》たちを夕食に招いていた。おかげで俺たちは甲板の上で好きなように横になり、赤い上衣と粗布のシャツの下の膚を掻いたり、縁なし帽を脱いで刈りこんだ頭を船縁の手すりにこすりつけることのできる幸せを味わった。普段の夜には、身動きひとつせずに痒みをこらえなければない。鎖の鳴る音で士官たちの目を覚まさせようものなら、哀れな仲間たちに鞭の雨が降り注ぐことは必定だからだ。
 四人の闇塩売りたちが、トラールのある部屋に横たえられていた。無惨にも縛り上げられた身体から血が滴っていた。昼間、彼らは船の青銅の大砲〈クルシエ〉*6に裸で俯せにされ、結び目を結った綱の鞭打ちを受けたのだ。彼らのうめき声が甲板を通して聞こえていた。
 うとうととまどろみかけたとき、俺と鎖で繋がれた〈ヴォーグ・アヴァン〉*7が肩に手を触れた。俺たちはめいめい一人のトルコ人に繋がれている。それを〈ヴォーグ・アヴァン〉と呼ぶのは、櫂のいちばん端を受け持つトルコ人は、俺たちよりもずっとその扱いに精通していて、国王がガレー船漕ぎの名手として奴隷に買い入れるほどだからだ。《見てみろ》と〈ヴォーグ・アヴァン〉は言った。《海に火船が出てるぜ》
 霧はわずかだったが、海岸線は見えなかった。ただ一筋の光る泡の連なりがずっと、ところどころ白い炎がはぜるように、黄色や緑の光を放っていた。
 地中海での戦闘で、火船にはお馴染みだった。ヴィラ=フランカやサン=トスビチオ、オネグリアから出帆したサヴォワ公の快速船が、交戦相手のこちらに向けて、夜間、潮の流れのまにまに火船を送り出してくるのだ。そいつを俺たちは〈クルシエ〉の三十六リーヴルの砲弾で沈めてやったものだった。
 だが、ここ大西洋ではお目にかかったことがなかった。俺の知っている火船なら、紅くて動いているはずだ。それなのにいま眼の前にした白い火はじっと動かず、時おり黄色く煌めいている。海は静かにゆったりとうねっていた。舳先では水先案内人が舷灯のそばで夜番についていた。二本の帆柱に懸け渡されて甲板を覆う天蓋の真中に、ひとつだけ吊られたオイルランプが揺れていた。すべてが静寂に包まれたこの夜に、遭難信号ということもありえなかった。
 俺は〈ヴォーグ・アヴァン〉のそばまで身を転ばし、互いの手で鎖を持ち上げた。耳をすますと、小舟が竜骨に当たって揺れる気配がした。俺たちは陸に面した右舷の側へ這い進んだ。船縁の手すり越しに頭を覗かせたとき、そこに見たのは、カイクと呼ばれる大きめの短艇*8が、ガレー船から離れようとする光景だった。白いシャツと赤いマスクに身を包んだ人影が、舟いっぱいにうずくまっていた。そのうちのひとりが長い櫂を操って、カイクをゆっくりと船底から押し出すところだった。《ああ!》俺は思った。《この監視のない夜に乗じて、闇塩売りたちが逃げ出したぞ!》だが〈ヴォーグ・アヴァン〉が俺を左舷の方へ引っ張っていった。指に鎖を握りしめながら、眠る男たちのあいだを俺たちはゆっくりと進んだ。左舷には小さい方の短艇があった。間もなく俺たちはそれに乗りこんでいた。かすかな物音ひとつなかった。〈ヴォーグ・アヴァン〉は沈黙の国の民だった。舷灯の光を避けつつ船尾を廻ると、カイクの曳く澪を追って、静かに揺られながら俺たちは短艇を漕ぎ進めた。
 密やかに櫂を漕ぐ手もとを誤らないか、今にも呼び止める声が響くのではないかという怖れに、俺たちは闇に震えた。だがやがて、光る岸辺と水沫の砕ける黒い砂浜がはっきりと見えてきた。白い炎もまた見えたが、それは本当の火の色ではなく、その後ろの大きな真白い塊が、燃える炎をそのように見せていたのだった。黄色い煌めきが踊るとき、炎のはぜる独特の音が聞こえた。
 カイクの男たちの赤いマスクは、普段の上衣に穴を開け、頭を包みこんだものだった。海岸から一鏈*9ほどの距離まで近づいた俺たちは、白い塊が塩の山であったと気づいた。十トワズ*10ほどの間隔をおいて奥へと連なる塩の山ひとつひとつの手前で炎が燃えていた。そして炎の傍らに、国王の塩を抛つ女たちの姿が映った。
 カイクが岸に着いたとき、俺たちはまだ磯波に揺られていた。赤いマスクを被った闇塩売りたちは砂浜へ跳び移り、めいめい自分の忠実な恋人を間違うことなく見つけ出すと、やにわに抱きあった。そして一瞬の後、彼らの姿は夜の向こう側へと消えていった。
 ところが俺たちはといえば、この打ち棄てられた見知らぬ岸辺、真白い塩の塊と音を立てて燃える火を見るや、胸を締め上げる恐怖の虜となったのだった。《おお!》と叫びを洩らした〈ヴォーグ・アヴァン〉は、岸に向かおうとは露望まずに、短艇の奥へ跳びすさった。
 躊躇ううちに、轟音とともに炎が噴きあがった。〈クルシエ〉の警砲だった。ガレー船の上で、歌うような呻き声が長く尾を引いた。上級将校の訪船で再点呼に応える時のようなその声は、仲間たちの歎きの悲歌だった。
 取り乱した俺たちは、櫂を握るとふたたび沖へと漕ぎ出した。
 短艇は水を切って走った。ガレー船の船底にぶつかるときの衝撃に身は揺らいだ。俺たちは開いていた舷窓から中へ滑りこんだ。甲板では、徒刑囚すべての足音が騒々しく鳴り響いていた。俺たちは頭を低くして仲間たちに紛れこんだ。トラールの部屋の昇降口から、鎖につながれ血を流しながら、友に見棄てられた絶望に身をよじる闇塩売りたちの蒼白い顔が四つ見えた。船の配属司祭がいつもミサを行い聖体のパンを配る〈バンカス〉台*11の上では、足下もおぼつかない様子の船長が、舵手から舷灯を取りあげ、鎖に繋がれた俺たちを二人一組に並ばせると、脱走したのは誰なのかを調べ始めた。

*1:1ピエは約32cm。「十五ピエのペン」とは、ガレー船の櫂を指す。この譬喩は17世紀の歌謡「ガレー船徒刑囚の歎き」 La Complainte du Galérien https://suigetsuan.hatenadiary.org/entry/2008/12/11/105105 に見られる。なお、シュウォッブが参照したと覚しいジャン・マルテーユ『ガレー船徒刑囚の回想』 Jean Marteilhe, Mémories d'un protestant condamné aux galères de France pour cause de réligion (1757) によれば、櫂の長さは50ピエとあるべきところ。

*2:オスマン帝国をはじめとするイスラム教国出身の奴隷がこの名で総称された。

*3:250名からなるガレー船の漕ぎ手を指揮し、櫂を同時に漕がせる役目の指揮官。

*4:囚人、あばら屋の住人の意。

*5:百合の花はフランス王家の紋章。犯罪者にはこの紋章の焼印が押された。

*6:ガレー船が船首に備える五門の大砲のうち、中央の最大のもの。砲弾は36リーヴル(18kg)の重さがある。普段は船の中央通路 coursier に格納されていることからこの名がある。

*7:「漕ぎ方進め」の意。

*8:ガレー船には大小二隻の短艇が備えられ、物資の運搬や将校の利用に供された。うち大きめのものはカイク、小さめのものはカノーと呼ばれた。

*9:1鏈は約185m。

*10:1トワズは約1.95m。

*11:ガレー船上で、腰掛け、寝台、長持などの様々な用途に供された箱形の台。