ラムプシニト Rampsinit

 目覚めの朝に死者の腕を差し伸べた盗賊との一夜が開け、ラムプシニトス王の娘アフーリは恋に落ちた。彼女は父王に、自らの処女を捧げた男を夫としたいと申し出た。盗賊への畏敬の念にうたれた老王はこれを許し、そのうえ玉座と、石壁で固めた倉の財宝までをも譲ったが、倉の隅石のひとつは回転式の隠し扉になっていた。かくして盗賊はエジプトの王となり、人は彼をラムプシニトと呼んだ。*1
 それからややあってのこと、女王アフーリ御前は病の床に臥した。魔術師たちはイムホテープ*2の書にある処方にしたがい、乾した薬草入りの粘土を丸め、黒と赤のインキで護符をしたため、満月の夜に刈り取った植物でアフーリの鼻孔をさすった。だが、女王の身体は薔薇色の斑点に覆われ、顫えがその身を襲った。医者たちはトートの書*3を開き、そしてかぶりを振った。
 その夜、大きな泣き声が王宮の真中に響きわたった。赤い陽光が射しそめるとともに、三つの黄金の柩を持ったミイラつくりたちがやって来た。女たちがアフーリの亡骸を洗い、うなじを南に向けて横たえた。次いで祈祷があり、左の鼻孔から差し入れられた鋭利な鉤が頭蓋骨を割った。次にまた祈祷があり、筆生が左の脇腹に葦筆で黒い線を引いた。それからまた祈祷ののち、エチオピア産の黒曜石の短刀を手にした切開役の男が、線に沿って切り裂いた。つづいて、奴隷たちが男に飛びかかり、棒で打ちのめした。男の役目は不浄とされていたからである。そして遺骸の内部は椰子酒で洗われ、内臓は天然ソーダの槽に浸けられた。
 たちまち、アフーリ女王の影身*4は唇のあいだから抜け出し、ハトホル女神のおわす下界へとつづく〈口の穴〉*5の方へ飛び去った。邸中の者が口々に叫んだ。《西へ!西へ!》
 陵墓の守戸たちが、防腐処置をほどこされた女王の身体を花で飾り、がらんとした石室に横たえ、石工が最後のひと鏝をあて煉瓦の壁を塗り固めると、ラムプシニト王の心は激しい悲しみに満たされた。愛しいアフーリの影身はいまや解き放たれ、名なしの海にある〈影身の島〉で暮らしている。重々わかってはいたが、それでも王は自問した。
 《俺は石張りの倉からラムプシニトス王の宝を盗み取った。王宮の衛士どもの右の頬髭を剃り落としてやった。そしてやつらから首のない弟の亡骸を奪い返した。アフーリ王女のもとには死んだ手と腕を置いてきた。その俺が、ハトホル女神から俺の女を盗り返せないわけがあろうか?》
 そうして王は西へ向かって歩き出した。王室の小型帆船とその漕ぎ手たちはナイルの岸辺に置いてきた。長い時が過ぎ、泥の掘っ立て小屋があちこちに建つ泥土だらけの土地へ、王はたどりついた。そこは大いなる沙漠の縁だった。やぶにらみの目をした酒屋の亭主が、通りがかった王を見て叫んだ。
 《あんた、ビールでも飲んでかないかね?》
 ラムプシニト王は小屋の軒先をくぐった。亭主は斜めを向きながら、ビールの壺を王の前に置いて言った。
 《あんた、あの有名なラムプシニトじゃないかい?》
 だが、王は答えようとしなかった。すると、亭主は王家の聖蛇像にすが目を凝らし(ラムプシニトは身元を隠すため、その像を懐にしまっていたのだった)、また言った。
 《やっぱりあんたはあの盗っ人、ラムプシニトだ。俺はあんたの力になれるぜ。なぜって俺も盗っ人だからさ。俺は心からあんたを尊敬してるんだ》
 それから、男は王とともにビールを飲んだ。
 その夜、王は乾いた土の寝床に身を休めた。遠い沙漠の地平線がくっきりと姿を現したとき、酒場の亭主が王に言った。
 《いいかい、あんたの行く手には危険が待ってる。動く峡谷をくぐりぬけたら、その向こうの沙漠にはイチジクの樹が一本立っている。その樹の根もとで待つんだ。すると、葉叢の中から裸の女神が半身をせり出してくる。女神はパンでいっぱいの皿と水を満たした壺を持ってる。*6もしもそいつを受け取ったら、あんたは永遠の館の客となって、二度とこの世にゃ戻ってこれねえ。もしも断れば、死の谷へ降りてゆくのは不可能だ。煮えたぎる激流を通らなけりゃならんし、そこじゃあ化け物猿どもが影身を網で漁ってるんだからな》
 《受け取ろう》王は言った。《だが女神の客にはならん》
 《そしたらな、女神はあんたを〈口の穴〉から陵墓の影身へ連れてくだろう。そこに女王の石棺があって、その前で〈五十二目〉*7の勝負をもちかけられる。負ければ、あんたは頭のてっぺんまで墓の中さ。勝てば、あんたが手に入れるのは金の手巾一枚だ》
 《やってやるとも》王は言った。《勝つのは俺だ》
 亭主は笑みを浮かべ、言った。
 《あんたは人も知る盗賊ラムプシニト。だれもあんたにゃかなわねえ。ハトホルの手巾には魔力がある。そいつであんたの顔を拭うんだ。アフーリの前でな。ただし、その時どんな欲も持っちゃいけねえ。それができりゃあ、すべてはあんたのもんだ。下界から、なんでも好きなものを持って昇るがいい。だがな、かけらほどでも欲を見せたら、それがあんたの運の尽きだぜ》
 《金の手巾は手に入れる》王は言った。《欲ならすべて棄てて見せるさ》
 そしてラムプシニトは出発した。沙漠の中に、イチジクの樹を見出した。乳房を化粧で飾った女神が、葉叢の中から現れた。歯にはミルトスの若枝をくわえ、手にしたパンの皿と水の壺を王に差しだした。ラムプシニトは身をかがめ、水を脇の下からこぼし、パンは巧みな指さばきでマントのひだに抛り棄てた。
 するとただちに、女神は王を殺風景な部屋へ連れていった。アフーリの石棺が王の目にとまった。重たい黄金の仮面と、青く染められた髪に確かな見覚えがあった。ハトホルが王の面前にしゃがみこみ、彼らは赤と翠の碁盤の上で、犬頭の駒を動かし始めた。
 ラムプシニトは一局目を失った。ハトホルが碁盤を頭に戴せると、王の身体は腿まで墳墓の敷石に沈みこんだ。
 《もうひと勝負してみるかえ?》女神が言った。
 《望むところだ》王は答えた。
 二局目も王は敗けた。ハトホルが彼の頭に碁盤を載せ、王の身体は胸先まで墳墓の敷石に沈んだ。
 《もうひと勝負してみるかえ?》女神が言った。
 《望むところだ》王は答えた。
 そしてハトホルが骰子の次の一擲を横目で見つめる隙に、ラムプシニトは女神の手駒から十二の犬を盗んだ。こうして王は三局目を勝ち取り、ハトホルが呪文を唱えると囚われの身は解放された。
 彼らはひとりでに動く小舟に乗り、〈蚕豆の野〉*8に上陸した。
 そこにはイチジクの樹があり、枝には世にも得がたい手巾が懸かっていた。女神が手巾をつまみあげ、ラムプシニトはそれで顔を覆った。
 突然、王の目に、七尺ほどに伸びた麦穂に囲まれた、愛しいアフーリの姿が映った。黄金のヴェールを通して、その姿ははっきりと見えた。そして、衣の下裾からのぞくように、白い足の片方が、トルコ石の足輪を巻いたそのくるぶしが目に入った。すべてを忘れ、王はその足を抱きしめたいと願った。初めての夜、アフーリが死者の手を握りしめたように。そしていまひとたび彼女を盗みだすために。
 たちまち、暗闇が王の目を覆い、凶運がその身を襲った。ハトホルに〈蚕豆の野〉へひき戻された王は、盲いたまま今もその地をさまよっている。アフーリ女王の白い足をその手につかむ時を願いながら。


訳注

*1:ヘロドトス『歴史』II-121に、ラムプシニトス王と盗賊の故事が見える。王は莫大な財宝を守るため、石壁に囲まれた宝庫を建造させたが、設計者は一箇所の石を取り外せるよう仕掛けを施しておいた。設計者の死の間際、秘密を知らされた二人の息子が宝庫に侵入し夜な夜な宝を盗み出すが、財宝の減少に気づいた王が仕掛けた罠に弟が捕らわれてしまう。発覚を恐れた弟は、自らの首を斬り取って逃げるよう兄に懇願し、翌朝発見された首のない死体は王宮の壁に吊される。弟の遺骸を奪還するよう母親に命じられた兄は、酒売りを装って王宮の番兵に近づき、酔った番兵たちが寝こんだ隙に遺骸を手に入れ、番兵の右頬の髭を剃り落として立ち去る。王は娘の王女に、色里ですべての男を相手に身を売り、代わりにこれまで働いた悪事を打ち明けさせるよう命ずる。これを知った兄は、遺骸から切り取った腕を隠して王女のもとへ赴き、その正体を知ってつかまえようとした王女の手に身代わりの腕を残して逃げ去る。男の智恵と勇気に感服した王は、赦免の触れを出してこの盗賊を呼び出し、自らの娘を妻として与えた。また、つづくII-122には、その後ラムプシニトス王が現し身で冥界へ降り、女神と骰子の遊戯を行い、金のハンカチーフを持ち帰った話が、祭礼の起源として語られる。シュウォッブはこのふたつのエピソードから作品を構成する際、後のラムプシニトスは王位を継いだ盗賊であったとする改変を加えている。

*2:古代エジプト第三王朝に実在した人物。宰相であり、トートの神官であり、最初のピラミッドを設計し、医術にもすぐれ、死後に医術・魔法の神として神格化された。

*3:学芸・知識・魔術等の神とされたトートに仮託された書。トートと弟子の問答体で、医療のための呪文やその手順を記す。現存しないが多くのパピルスに断片が引かれる。

*4:原文 double は、古代エジプトのふたつの霊魂概念カーとバーのうち、死者の個性や人格を表すバーを示すと思われる。バーは死後肉体を離れ冥界へ赴くが、カーは現世にとどまり、供物を飲食して死者の生命を保ちつづけるとされる。

*5:原文 Ouverture de la Bouche は、本来死者が供物を飲食して死後の生を支えることができるよう「口を開く」ための儀礼を指す語。シュウォッブはこれを冥界への入り口を指す語として創造的に読みかえている。

*6:西方の死者の世界において、死者を守護する存在とされたハトホルが、死者のための食料と水を手に、シカモアイチジクの樹から出現する図像がしばしば見出される。

*7:サイコロの目によって駒を動かすボードゲームの一種。Ombre書店版 "Dialogue d'utopie" (2001)の注釈によればチェッカーに似たゲームで、しばしば犬の頭を象った駒が用いられた。

*8:ソラマメは胎児に似たその形から復活のシンボルとされ、死者はソラマメの畑でよみがえりを待つと考えられた。