わが記憶の書 IL LIBRO DELLA MIA MEMORIA

イメージの《章》*1

 わが記憶の書のその箇所に−−それより前にはとりたてて読むべきものとてない−−、とある章題が記されている……
 ダンテ・アリギエリ
*2


1 キリストと小夜鳴鳥


 聖なる金曜日
 キリストは十字架のうえで瀕死のてい
 弟子たちはおそれおののき逃げ散った
 マリアは涙も涸れて家路についた
 きっと彼はよみがえる
 ところがよみがえったのはべつの男
 弟子たちが見つけだしたのは彼とよく似た赤の他人
 マリアとマグダラのマリアとわが目を疑う巡礼者たちの前にあらわれたのはその男
 うち棄てられたキリストは
 十字架のうえで最期のときを待っている、焼け焦げた、茨のはびこる峡谷の地で
 それは日曜の朝のこと
 贋者はここに復活し、苦悶にうめくキリストが耳にしたのは遠いどよめきと喜び歌う人々の声−−主ヨ、アワレミタマエ
 それからまた沈黙がおとずれた
 聖なる日曜のあらたなしじま
 すると小石のころがる穴のへりから野兎が顔をのぞかせた
 小夜鳴鳥が飛んできて茨の枝からじっと見た
 そして小さな小夜鳴鳥はイエスに話しかけたのだった


2 ある本の想い出


 大好きな本をはじめて読んだときの想い出は、その場所の記憶や、刻と光の記憶と不思議に混じりあっているものだ。今日でも私の目にはあの瞬間と変わらぬ十二月の緑がかった靄をとおして、あるいは六月のまばゆい陽ざしに照らされて、いまはもうない懐かしい小物や調度に囲まれた本の頁が浮かびあがる。長いあいだ窓を見つめたあとで目を閉じると、その透明なまぼろしがまなうらの闇にたゆたうように、文字の書かれた紙葉が記憶の中で輝きを増し、昔日のひかりを取り戻すのである。匂いもまた記憶を呼び覚ます鍵となる。私がはじめて手にした本は、子守の婦人がイギリスから持ってきたものであった。私は四歳だった。彼女のものごし、ドレスのひだ、窓の向かいの裁縫台、赤い表紙の新しく輝く本、そして頁の間から立ちのぼる鼻に沁みる〈匂い〉を、いまもはっきりと思い浮かべることができる。イギリスの新刊書は、いつまでも真新しいインクと防虫剤のつんとくる匂いがする。私はこの本を通じて読むことを学んだのだが、そのことはいずれまた話そう。匂いについて言えば、それはいまも私に、新しい世界をかいま見る震えるようなときめきと、知ることへの渇望をもたらしてくれる。いまでも私は、イギリスから新しい本が届くと、決まって開いた頁のとじ目まで鼻先をうずめ、立ちのぼるかすみともやをかぎ、わが子供時代の喜びの残り香をあますところなく吸いこむのである。


3 本と寝床


 寝床での読書のうちには、安らぎにつつまれた知のよろこびと満足がないまぜになっている。だがその質は齢とともに変わってゆく。
 十五のころ、夜、寝床についてからむさぼり読んだ長い小説の、いちばん面白かった頁を思い浮かべてみたまえ。霧につつまれたように薄暗がりへ溶けこんでゆく時刻、燭台の蠟燭はパチパチと音を立てながら燃え尽き、青く揺らめいて消える。朝になれば私は五時前に目を覚まし、長枕の下の隠し場所から、国立図書館発行の五スーの小さな本を取りだしたものだった。そうやって私は、ラムネーの『信仰者の言葉』や、ダンテの『地獄篇』を読んだ。以来、ラムネーを読みかえしたことは一度もないが、七人の人物たち(記憶違いでなければ)の恐ろしい晩餐の場面はいまも印象に残っている*3。そこには、もっと後にポーの短編のなかで知ったいわゆる振り子刃の音が鳴り渡っていた。私はその小さな本を枕の上に置き、朝一番のほのかな陽の光に照らした。そして腹ばいに寝そべり、おとがいを肘でささえ、言葉を胸に吸いこんだのだった。あれより心地よく本を読んだためしはない。つい先日の夜、私はかつての五時の姿勢をふたたびこころみてみたのだが、長くはつづけられそうになかった。
 ある日、魅力的なスラブ系の婦人が、読書をするのに《理想の》姿勢がどうしても見つからないと、私に訴えたことがある。机に向かって席に着いても、本との《交感》など望むべくもない。もっと近づきたくて両手のあいだに顔を寄せると、血がのぼって溺れそうな気になるのだ。ソファーではすぐに本が重荷に変わってしまう。寝床に仰向けでは腕が冷たくなってくる。手もとが暗いこともしょっちゅうだし、頁を繰るのも億劫だ。かといって横を向けば、本の片側が手からすりぬける。とてもこれが正しい姿勢とは言えない。
 とはいえ、そんなことに悩まされずにすむ方法もある。善良な人々が言うように《目に悪いからよしなさい》というわけだ。読書など少しも好まないのが、善良な人々というものだ。
 不意をつかれるおそれもなく護られてあることの喜び、どんなに大胆な空想でも安心して羽をひろげられる喜びを、歳月だけがすり減らしてゆく。安逸で暖かな孤独、夜の静寂、睡りのおとずれにつれランプの下で照り映える家具と思考とをつつみこんでゆく金色の輝き、わが身のかたわら、心のすぐそばに、愛する本があることの確かな喜びはいつまでも残る。寝床で《睡眠薬》がわりに本を読むような人たちは、神の食卓につくことを許されながら、不死の美酒を錠剤にしてくれと頼む小心者に思えてしまう。


4 《ヘスペリディーズ》


 ヘリック*4を読むことは、すなわち蜜蜂とミルクを読むことである。言葉は花の精油に照り輝き、ナルドの香油で磨きあげられ、かぐわしい露のしずくをちりばめられている。その詩は、小さな黄金の翼をはためかせながら永遠に向かって飛翔する。必要なのは、『ヘスペリディーズ』をひもとき、安息香の香気につつまれるようにただちに目をひたすことだけだ。あらゆる詩句は目ににおう薫りに彩られている。真あたらしい純白の蠟と霧氷、豊かに花粉をつけた蘂、蝶の鱗粉、薔薇色をした雛菊の柔らかな花冠。ヘリックの頭は巻き毛で鷲鼻、顔の造作はみな、黄金のあぶくを吹きだす唇のほうへ寄りあつまっている。詩想の泡でふつふつと湧きたつワインが彼を酔わせていた。極薄の玻璃の集涙壺*5でその詩歌をあおるがいい。ひとときのあいだ、君はこのうえなく白い春と金色のかぎりに輝く夏とにとりまかれることだろう。だが読み過ぎにはご注意。薔薇の海に溺れてしまわないように。


5 ロビンソン、青ひげ、アラジン


 読者にとって最高の楽しみは、作者にとっても同じことだが、ごっこ遊びの楽しみである。子供の頃、私は北極への旅の物語*6を読むのに、屋根裏部屋に閉じこもり、コップの水にひたした乾パンを食べながら読んだものだった。たぶん、お昼はしっかり食べていたのだろう。だがそうやって、私はいっそう自分の英雄たちの窮状を分かちあっているつもりになっていたのだ。
 真の読者は、ほとんど作者と変わらぬほどの創り手である。ただ、読者は行間で創作をおこなう。頁の余白を読むことを知らない者は、決して本の美食家にはなれない。交響曲の音の響きと同じように、目に映る言葉はつぎつぎに湧きだすイメージを生み、君を導いてゆくのだ。
 私はロビンソンが食事をした大きな荒削りのテーブルを目に浮かべる。食べものは子ヤギの肉かな?それとも米のごはん?ちょっと待って……すぐにわかるから。おや、赤土で真ん丸いお皿ができた。ほらほら鸚鵡が鳴いてるぞ。もうじき、あたらしい小麦のおこぼれをもらえるよ。差しかけ小屋の貯えの山からみんなが盗んでくるから。病気のロビンソンが飲んだラム酒の瓶は、黒くて大きくてすじ模様が入ってるんだ。《fowling piece》(鳥打ち銃)という語が少しもわかっていなかった私は、ロビンソンの銃がどれほど風変わりなものかと想像をたくましくしていた(長いこと私は、『東方詩集』の《icoglans stupides》という言葉*7から、カメレオンの一種かなにかを思い浮かべていた。いまだに、これがただの近衛兵にすぎないと自分の想像力を納得させるのはたいへん苦労する)。
 アラジンのランプはどんなかたちをしていただろう?私の頭のなかでは、勉強部屋のオイルランプにいくぶん似ていた。アラジンがどうやって魔物をひっぱり出したのかにも、私は興味津々だった。彼が磨き砂で−−こんな言葉はどこにも書かれていないが、そう連想せずにはいられなかった。「青ひげ」の妻も鍵についた血の染みを消そうとしてこの磨き砂を使ったのだ−−こすったのは、ふくらんだ金属の胴のとある箇所だった。いまでは私は、アラジンのランプは銅製で、注ぎ口がついて蓋がなく丸みをおびた、ギリシアやアラビアのランプのようなものだと知っている。だが、もはやそれが私に《見える》ことはない。
 青ひげの鍵に話をもどそう。私の興味を惹いたのは、それが《fée》、妖精だということだった。これには考えあぐねてしまった。まったくわけがわからなかったのだ。それでも私は、ことあるごとに思案をかさねた。ところがなんということか!それは古くからの誤植だったのである。初期の版(ごくまれにしか手に入らないが)を見ると、鍵は《féée》*8−−ラテン語の fata −−、つまり魔法にかけられていたとなっている。要するに妖精のわざがかけてあったのだ。じつに明快。ただし、もはや夢見ることはできない。
 シンデレラのガラスの上履き−−このガラスがどれほどかけがえのないものに思えたことか。透きとおって、よく遊びに使ったヴェネチアの手燭台のように繊細な線細工に飾られて−−この上履きもじつは斑入りの毛皮でてきていた*9。もはやそれが《見える》ことは決してない。
 カマラルザマーン王子の壺に入った、金粉をまぶした緑のつややかなオリーブの実を、私はこと細かに思い浮かべたものだった*10。木蔦が這う苔むした崩れかけの壁いっぱいに陽の光のそそぐ下、庭師のもとで仕事に励む王子の姿も。菓子屋になったブドレッディン・ハサンの店、小さなせむし男の喉に刺さった魚の骨、毒を塗った頁の貼りついた大きな本、その茶色い革表紙に、こごった獣脂で蠟燭を立てるように、固まった血でくっついたドゥーバン医師の首……。いくたびもかえり見たくなる彩りに満ちた、愛しい、愛しいイメージの数々は、かの章のもと、わが記憶の書に収められている。


訳注

*1:本エッセーはシュウォッブの死の直前に書かれ、死後まもなく Vers et Prose 創刊号巻頭に掲載された。執筆の時点ではシュウォッブはこれを連載とするつもりだったらしく、初出時にこの見出しの前にIというローマ数字を付している。すなわち、この「イメージの《章》」は、自らの「記憶の書」のなかの一章について語ると同時に、連載エッセー『わが記憶の書』の第一章となるべきものだったと思われる。

*2:『新生』 La Vita Nuova 第一章より。

*3:フェリシテ・ド・ラムネー Félicité de Lamennais(1782-1854)はフランスのカトリック司祭・思想家。ダンテ『神曲』の翻訳者でもある。『信仰者の言葉』Paroles d'un croyant(1834)第13章に、ある闇夜、いずことも知れぬ土地に七人の王冠を戴いた人物が集まり、次々に髑髏の盃で血を飲み干しながらキリスト教を呪詛する言葉を吐く場面がある。

*4:ロバート・ヘリック Robert Herrick(1591-1674)。イギリスの詩人。女性や恋愛を歌った短詩を数多く遺した。その主なものは生前刊行された『ヘスペリディーズ』 Hesperides(1648)に収められている。なお、ヘスペリディーズ(ヘスペリデス)は、ギリシア神話において世界の西の果てにある園で黄金の林檎の樹を守る乙女たちのこと。

*5:lacrymatoire ローマ時代の葬具。泣き女の涙を入れたものと考えられたことからこの名がある。実際には葬送儀礼に用いる香油などを入れた。

*6:ジュール・ヴェルヌ Jules Verne(1828-1905)『ハテラス船長の冒険』 Voyages et aventures du capitaine Hatteras(1866)を指すか。子供時代のシュウォッブがヴェルヌの大ファンであり、ファンレターを送った経験もあることが、ピエール・シャンピオン『マルセル・シュウォッブとその時代』に記されている。

*7:icoglan はオスマン・トルコ皇帝に仕えた近衛士官。ヴィクトル・ユゴー Victor Hugo(1802-1885)『東方詩集』 Les Orientales(1829)第一部にこの「まぬけな近習たち」icoglans stupides の語が見える。

*8:《féée》は動詞 féer(魔法にかける)の過去分詞女性形だが、この箇所、現在までに本エッセーを収録した著作集・全集類(Mercure de France (1921)、François Bernouard (1930)、Union Générale d'Editions (1979)、Phébus (2002)、Les Belles Lettres (2002))ではいずれも《fée》(妖精)となっており、意味が通じない。いま、初出の Vers et Prose tome 1 (1905) に拠り改めた。

*9:シンデレラのガラスの上履き pantoufle de verre は、本来は pantoufle de vair(vair は模様の入ったリスなどの毛皮)であり、ペローの童話を仏語から英語へ翻訳する際に vair を verre に誤ってガラスと訳されたとする説が当時信じられていた。実際にはこの説には根拠がなく、今日ではペローの表現は初めから verre であったことが明らかになっている。

*10:以下いずれも『千夜一夜物語』中のエピソードから連想された光景。なお、ブドレッディン Bedreddin の名は、注8に挙げた諸本いずれも Brededdin に誤る。これも初出に拠り改めた。