琥珀売りの女 La Vendeuse d'ambre

 氷河の訪れがアルプスを襲う以前、黒と褐色の山並みを覆う雪はわずか、山肌に氷の穿った圏谷がまばゆい白さに輝く景色もそこにはなかった。今日、荒涼たる堆石の堤と、大小の裂け目がここかしこに崩れやすい口を開けた一面の氷原を見るのみの場所にも、かつてはヒースの野のところどころに花がほころび、生命はいまだ熱い地に芽ぐみ、若草の上には翼持つ生き物がその身を息めていた。高原に刻まれた窪地の底、円い水のおもてに小波を揺らした数々の蒼い湖は、今では山腹の巨きなよどんだ眼となって、不安気で暗鬱な視線を投げかけている。そこを赴く者は、足下の深淵に気を配りながらも、底知れぬ死の瞳の凍れる奥処へと滑り落ちてゆく気にさせられるのだ。湖の周囲をめぐる岩山は、黒く魁偉な玄武岩であった。苔むした花崗岩の段丘には、陽光に照らされた雲母のかけらがいたるところで煌めいていた。それも今や、起伏のない霜畳の下から辛うじて幾ばくかの稜線ばかりをのぞかせて、あたかも石の眉のように、仄暗い氷原のぐるりを取り巻いているのだった。
 緑なすふたつの斜面に挟まれて、高い山塊の窪みに走る長い谷に、曲がりくねった湖があった。岸沿いに、あるいは湖心に、風変わりな構造物が、あるものはふたつずつ並び、またあるものは水の上にぽつんと佇んでいた。そのさまはあたかも棒杭の林の上に、先の尖った藁帽子が並んでいるかのようだった。とりわけ、岸辺から少し離れた場所に、水面から突き出た何本もの杭が、支柱の群れを形づくっていた。伐り出したままのささくれ立った幹はあちこちが腐り、ひたひたと寄せる小波に抗っていた。端を断った木杭のすぐ上に、枝と干した湖の泥でできた小屋が載っていた。円錐形の屋根はどの方向にも回すことができ、煙出しの穴から風で煙が押し戻されるのを防いでいた。広々とした納屋がいくつか見え、水の中へと降りてゆく踏み段も備わっていた。薄い板の架け橋が、方々で支柱の群れどうしを繋いでいた。
 大きく、丸々とした身体つきの者たちが、言葉もなく小屋から小屋へと行き来し、水面へ降り、磨き上げた石に穴を開け錘りにつけた網を引きずって、獲った魚を口にくわえ、時には生のまま小魚を骨ごと噛み砕いた。また別の者たちは、木枠を前に忍耐強くうずくまり、オリーブの実よろしく中を刳りぬいた燧石を、左の掌から右の掌へと抛っていた。石には縦に二本の溝が彫られ、小枝を割いた逆棘のある繊維が結ばれていた。膝の間に挟まれた二本の縦棒が木枠の上を滑ると、行ったり来たりの動きの中から、横糸に間をおいて交叉した繊維の網が織り出されてきた。堅い木の掻器で石を割り出し道具を作る者の姿も、窪んだ砥石板を掌に載せ石器を磨く者の姿もそこにはなかった。地方から地方へ旅をして、穴を穿った鹿の角を持ち歩き、美しい玄武岩の斧や、日の昇る土地からもたらされた翡翠や蛇紋岩の優雅な刃をトナカイの革紐で据えつける、手練れの柄つけ人を見かけることもなかった。獣の白い歯や磨いた大理石の玉に巧みに糸を通し、首飾りや腕輪をつくる女たちも、肩骨に曲がりくねった線を刻み、族長の持つ笏杖の飾りを彫るのに鑿を振るう職人たちもいなかった。
 湖上に暮らす者たちは貧しく、豊饒の地から遠くはなれて、道具も宝石も持たない種族だった。必要な物のあるときには、木を大きく刳ったカヌーでやって来る旅の商人から、干し魚と交換に手に入れた。身にまとう服もそうして購った革から作ったものだった。網の錘りや石鉤のためにも、売り手の到来を待つほかはなかった。飼い犬もトナカイもいなかった。ただ、泥だらけの子供たちがひしめきあい、杭の間際で水を跳ねあげていた。開けた空の下、水に鎧われた隠れ家で、彼らは惨めに自らの孤塁を守っていた。
 夜の帷が降り、湖を囲む山々の頂にはまだ白い輝きの残る時刻、水を切る櫂の音がして、柱にカヌーのぶつかる響きが聞こえた。灰色の霧の中に、三人の男と一人の女の影が浮かび、湖へ降りる踏み段の方へ進み出た。手に手に槍を握り、父親の男は、溝の彫られた石の玉を、ぴんと張った紐の両端にぶら下げていた。水面から突き出た杭のひとつにもやわれたカヌーの中では、異郷の女が、豪奢な毛皮に身を包み、藺草で編んだ籠を手にして立っていた。細長い小籠の中に、黄色く輝くものが山と積まれているのが見えた。石の彫り物も顔をのぞかせた籠の荷は重そうだったが、異郷の女はたくましいその腕で、ぶつかりあう荷が音を立てる籠を軽々と運び上げ、まるで燕が庇の下の巣穴へ吸いこまれるように、ひと飛びで円錐屋根の下まで飛び移ると、泥炭の火の傍にしゃがみこんだ。
 彼女の姿態は、湖上の種族とはあまりにかけ離れていた。彼らはといえば、ずんぐりとして鈍重で、手脚を覆う節くれ立った筋肉が隆々と筋目を走らせている。黒く油がちな髪は真っ直ぐ固まった房となり肩のあたりまで垂れていた。頭は大きく幅広く、平たい額が膨らんだこめかみまでつづく一方、射るような光を宿した眼は眼窩の奥に小さく落ち窪んでいた。異郷の女の手脚はすらりとした優雅さをたたえ、豊かな金髪に冷たく澄んだ瞳が誘いかけるかに思われた。湖上の群れの人々がほとんど口をきかず、時たまごく短い音だけを呟くかわり、よく動く目であらゆるものを執拗に睨めまわすのにくらべ、異郷の女は意味のわからない言葉を絶え間なく口走りながら、笑顔を振りまき、身振りで訴え、品物を撫でたその手で男たちの手をさすり、腕を取り、叩き、おどけて押し払い、目にはとりわけ飽くことを知らない好奇心を浮かべていた。彼女の笑いは大きく開けっぴろげだった。魚獲りに生きる者たちは乾いた薄笑いよりほかに知らなかった。だが金髪の売り手が持つ籠を凝視める彼らの目は貪婪に光っていた。
 彼女は籠を部屋の中央、火を灯した樹脂片のそばへ押しやり、赤い微光に輝く品を取り出して見せた。それは細工を施した琥珀の棒だった。透明な黄金のごとく澄みわたった光が、見る者の目を驚かせた。乳白色の条脈が取り巻く大玉や、面取りをした小粒、小ぶりの棒と玉を連ねた首輪があった。むくの塊から削りだした継ぎ目のない腕輪は、脇の下まで上がるほど大きく、平たい指輪、小さな骨の止め針がついた耳輪、麻を梳く櫛、族長の笏の頭飾りもあった。彼女がこれらの品を盃の中に投げ入れるたび、鐘のような音が響きわたった。編んだ白髯を腰帯のあたりまで垂らした年老いた男が、この見慣れぬ容れ物を手に取り、熱心に凝視めた。こいつは魔法の代物か。生命あるかのように音を立てるではないか。青銅でできたその盃は、鋳造の術を知る種族から買われたもので、光を受けて燦然と輝いた。
 だが琥珀の輝きもそれに劣りはしなかった。その値打ちは計り知ることもできなかった。小屋の暗がりは黄色い富の光に満たされた。年老いた男は、小さな目をじっと空に見据えた。家族で唯ひとりの女は異郷の女の周りをうろつき、今度は親しげに近づくと、首輪や腕輪と黄金の髪の色を見くらべた。燧石の刃で破れた網の目を裁ち切りながら、若い男の一方が、欲望の火に燃える視線を金髪の娘に投げかけていた。弟の方の息子である。干し草の寝床の上では、寝返りに床をきしませながら、兄が苦しげに長息をついた。彼の妻は先日子を産んだばかりであった。彼女が赤子を背に結び、夜漁に用いるある種の底引き網を、支柱の群れに沿って引き回すかたわら、夫は寝床に横たわり病んだ呻きを洩らしていた。その夫が首を回して顔を向け、父と変わらぬ貪欲な目つきで琥珀の溢れる籠に見入った。両手が渇望におののいた。
 間もなく、彼らは静かな身振りで琥珀売りの女に籠の覆いを戻すよううながし、炉のまわりに集まってなにか相談するそぶりを見せた。年老いた男が口早に言葉を発すると、彼らの目は一斉に年上の息子の方へ向けられた。視線の先で男の瞼はせわしなく瞬いた。それだけが彼らが言葉を解する徴だった。水の生き物相手の生気に欠けた暮らしに、彼らの顔は獣のような無表情に凝り固まってしまっていた。
 枝組みの部屋の奥に、空いている場所があった。他よりはきれいに切り出された横木が二本、床をなしていた。彼らは琥珀売りの女に、半身の干し魚を囓り終えたらそこに寝て良いと身振りで示した。傍らの素朴な袋網は、夜間に住居の下に張り、湖のあるかなきかの流れに沿って泳ぐ魚を獲るためのものに違いなかったが、長らく使われた形跡はなかった。琥珀を満たした籠は、眠る女を安心させるように、その枕上、彼女が身を伸ばした二本の横木の脇に置かれた。
 それから、ひと言ふた言呟く声がして、樹脂片の灯火が消えた。床下の柱の合い間を流れる水の音が聞こえた。流れはその掌でひたひたと杭を叩いていた。年老いた男がどこか不安にくぐもった声で、尋ねかけるような言葉を発した。ふたりの息子は応と返したが、ふたつめの声には隠しきれないためらいが聞き取れた。そして水の囁きに包まれて全き沈黙が訪れた。
 だしぬけに、部屋の奥でつかの間のもみ合いがあった。ふたつの身体がもつれあう音、うめき声に鋭い悲鳴が何度か、そして息の緒の絶える喘ぎ。年老いた男が手探りで立ち上がり、手に取った袋網を投げうった。次いでやにわに琥珀売りの女の寝ていた横木を溝に滑らせ、夜漁のための床穴を開いた。何かを投げこむ音、ふたつの落下音、水面を叩く短い響き。火を灯された樹脂片が穴の上にかざされたが、湖の面には目に映るものとてなかった。それから年老いた男は琥珀の籠をつかみ上げた。年上の息子の寝床の上で、ふたりの男が宝を山分けするあいだ、妻はこぼれて散らばる小さな粒を拾い集めた。
 朝が来るまで、網が曳き上げられることはなかった。琥珀売りの女のむくろは髪を切り取られ、白い身体は魚の餌にと、床下の湖面に投げ棄てられた。溺れた男の遺骸の方は、年老いた男の燧石の短刀で頭蓋骨を輪切りにされ、露わになった死者の脳のあいだには、来世に備えて護符が挿し入れられた。それから遺骸は小屋の外に安置され、頬をかきむしり髪をひきちぎる哭き女たちの声が高らかにこだました。

〈ボトロー〉あるいはヒキガエル奇聞

 シュウォッブは読むことが書くことに直結していたタイプの作家だから、その作品を読むこちら側も、表に見えるものだけさらりと読んでおしまい、というわけにはいかなくなる。シュウォッブがなぜこのように書いたのか、考えながら読み進めるうちに、どうしてもその作品の向こう側にあるものにまでつきあってみたくなる瞬間がやって来るのだ。それがシュウォッブを読むうえでの厄介さであり、また楽しみでもある。いわば、読み終えるところから次の読書が始まるのだ。そういう意味ではこれほど贅沢な幻想小説もないだろう。
 「〈赤文書〉」は、そうした〈読む人〉としてのシュウォッブ自身の姿が織りこまれた作品であり、細部にわたる記述の中にも、シュウォッブの具体的な読書の軌跡が示されていて興味深い。
 たとえば、冒頭に題名だけ触れられる『悦びの園』は、正式な原題を Le Jardin de plaisance et fleur de rethorique といい、パリの出版業者アントワーヌ・ヴェラール Antoine Vérard が1501年頃に出版した一大詞華集である。収録された膨大な数の詩の中には、著名な「吊され者のバラード」 La Ballade des pendus をはじめとするフランソワ・ヴィヨンの作品も含まれている。ヴィヨンの研究家でもあり、その用いた隠語や属した盗賊団に関する論考もものしているシュウォッブならではのさりげない小道具の用い方と言えるだろう。
 さらに、物語の本筋により近いところでいうと、シュウォッブはこの作品の中で、ヒキガエルの別名として〈ボトロー〉 botereaux という耳慣れない言葉を使っている。調べてみるとヒキガエルの古名らしいので、《蟾蜍》という訳語を当てておいた。調べていく過程で分かったのは、この単語の用例が、『パリ・シャトレ刑事裁判記録簿 1389年9月6日−1392年5月18日』 Registre criminel du Chatelet de Paris du 6 Septembre 1389 au 18 Mai 1392 と題する二巻本の中に見出されるらしい、ということである。まさしく「〈赤文書〉」に関係のありそうな題名だ。シュウォッブの死後、蔵書を競売に付した際の目録(Catalogue de la bibliothèque de Marcel Schwob, 1993 所収)を閲してみると、「海賊、山賊、刑事裁判史」の見出しのもとに並べられた一連の書物の末尾に、その名が挙げられている。
 幸い、件の書物はフランス国立図書館の電子アーカイヴ Gallica から手に入れることができる。問題の箇所は第二巻の中ほど、そこには1390年10月29日から翌1391年8月19日にかけて長くつづいた一連の裁判の記録として、次のような事件の経緯が報告されている。


 舞台はパリから40kmほど東に位置するゲラール Guerart。この村で、農場を所有し宿屋を経営する地元の名士アンヌカン・ド・リュイリー Hennequin de Ruilly は、アンジュー地方のリリー村 Rilly en Anjou 出身の女、マセット Macette を妻として暮らしていた。ところが、結婚四年目の春先から、このド・リュイリーは原因不明の痛みに襲われ、以来病の床に臥していた。ある日、宮廷楽人をつとめる友人が見舞いに訪れ言うには、お前さんこれはどこぞの女に呪いをかけられたに違いない。なにか思い当たる節はないか。これを聞いた男の母親リュース Luce と妻は涙を流して慨嘆し、なんとか打つ手はないものかと知恵を絞った。そしてふたりが思い至ったのは、近くのベーム Besmes 村で〈聖女〉の評判をとる女性のことだった。大変な物知りで、尋ねられたことには何でも答えてくれるという。彼女のもとへ足を運べば、夫の病の詳細も、誰がその呪いをかけたのかも、真実のところが明らかになるに違いない。
 やがて母親に連れられゲラール村を訪れた〈聖女〉は、床に横たわるド・リュイリーをひと目見るなり、これは誰かが魔術を用いて呪いをかけたのだと告げた。取り憑いているものの正体はまだわからないが、この〈地獄の敵〉−−と〈聖女〉は呼んだ−−と一度話をしてみたうえで、知り得た限りの真相をまた報せに来よう。そうすればお前を助ける良い方法も見つかるに違いない。そう言って〈聖女〉は立ち去った。
 一日か二日経って、ふたたびやって来た〈聖女〉が言うには、この呪いの張本人は、パリに住む魚売りの女、ジルト・ラ・ヴェリエール Gilete la Verriere に究まった。じつはこのジルトという女、ド・リュイリーの以前の交際相手であり、その間にふたりの子供までもうけていたことを、妻のマセットは何度か聞かされていた。この女が蝋で人形をつくり、煮え立つ鍋に投げ入れて、ド・リュイリーに呪いをかけている。また寝床の下に大きなヒキガエルを飼い、これを針で刺しては苦痛を送りこんでいるのだという。死の瀬戸際へ追いやられたド・リュイリーの命は、あと十日もすれば尽きるところであった。
 その後も〈聖女〉は二、三日おきに村を訪れ、掌をかざすほかは何の薬も治療も用いなかったが、それでもド・リュイリーの容態は見る見る回復を遂げていった。やがて、ジルトはすでに呪いを諦め、ヒキガエルをセーヌに棄てたことが、〈聖女〉の口から告げられた。
 こうして、ド・リュイリーを襲った予期せぬ不幸は一件落着したかに見えた。ところが、この事件には裏があった。魔術を用いた真の犯人は、他ならぬ妻のマセットだったのだ。
 まだ故郷のリリー村で暮らしていた少女の頃、まわりの女たちがこんな話をするのを彼女は聞いた。もしも結婚を渋る男をものにしたかったら、真新しい蝋と瀝青を買ってきて、これを混ぜあわせる前に三度、ルシフェルという名の〈地獄の悪魔、敵〉を呼んでこう言うのだ。どうか私に手を貸して、我が思いと望みを叶えさせたまえ。頼みごとのわけをよくよく説き聞かせたら、今度は福音の聖ヨハネに三回、我らが父なる神とマリア様に三回ずつの祈りを捧げる。そうしておいてから、この蝋と瀝青を混ぜあわせ、寝床の傍に置いておくのだ。恋人と床を共にするとき、片手の甲にこの混ぜものを載せ、願いが叶うように念じながらルシフェルの名を三回、それから聖ヨハネ、父なる神とマリア様の名を三回唱えて祈り、相手の背中、肩と肩とのあいだにそっと塗りつける。これを二晩か三晩繰り返せば、遠からず望みのままに思いは遂げられるのだという。
 女たちの話はなおもつづいた。もしもそうやって結婚した夫が暴力を振るい、女を不幸な目に遭わせるようなら、良い復讐の方法がある。決して殺してしまうことなく、ただ長引く病で弱り果てさせてしまう方法が。そのためにはまた新しい蝋と白瀝青を買ってきて、それで子供の人形を作るのだ。混ぜあわせる前にはやはりルシフェルに願い事をし、その後で聖ヨハネ、我らが父なる神とマリア様への祈りを忘れずに。そうして作った人形を、火にかけた鍋に入れ、同じ名前を唱え挙げながら、願いが通じるようにと念じ、ぐつぐつと煮立てるのだ。すると、熱湯の中で人形が責め苛まれているあいだ、呪いをかけられた相手は同じ苦痛に苦しむことになる。何度でも繰り返せば繰り返すだけ、相手の病は引き伸ばされる。人形を熱湯の鍋に入れる際には、短刀の先で三つの十字架を刻む。それから銅の匙で鍋の中の人形を翻弄し、短刀でその身を突き刺せば、その度ごとに犠牲者は、恐ろしい苦悶にのたうちまわることとなるのである。
 そしてなおこのうえ大きな苦痛を夫に与えたいと望むのであれば、ヒキガエルを二匹、それぞれ別に新しい素焼きの壺に入れ、白パンの屑と女の乳で養っておくといい。夫を苦しませたい時には、例によってルシフェル、聖ヨハネ、父なる神とマリアの名前を唱えてから、素焼きの壺の口を開き、十分に長い針かもしくは鉄串で、中の生き物を思い切り突くのだ。ヒキガエルの苦しみはそのまま夫の苦しみとなり、決して死に至ることのない衰弱がつづくだろう。
 その後、同郷の男に連れられリリー村を出たマセットは、数年間の放浪のすえ、パリでド・リュイリーと出会い、六週間の交際を経て婚約を結ぶ。ところが、その直後にこの婚約者は仕事でスペインへ旅立ってしまった。しばらく向こうに滞在するとのことで、帰還がいつになるかもわからない。するとたちまちマセットは、放浪時代に付き合いのあったギヨー・ド・リール Guïot de Lisle という男と再び懇意になり、互いの家で関係を持つようになる。マセットが、村の女たちの話していた魔術を思い出したのはこのときだった。いつ帰ってくるのかわからない婚約者よりも、今つかみかけた愛情を手放したくないと考えたのだ。
 だが、半年後にド・リュイリーがスペインから戻ると、マセットはまた掌を返したように、この若くて裕福で権勢もある青年に巧みに言い寄り、結婚を迫った。しかし、婚約者がすぐには色好い返事をかえさないのを見て、マセットは行動を起こすことを決意した。パリのロンバール通りで蝋と瀝青を手に入れると、あの日女たちが言っていたとおりに混ぜものを準備した。するとどうだろう、その日のうちにド・リュイリーが彼女のもとを訪れ、寝床を共にした後で、眠っている男の背中にマセットはこっそりと用意したそれを塗りつけた。そのような夜が二度三度とつづき、思いもよらぬほどすんなりと、マセットは結婚の望みを遂げることができたのだった。
 それからまた半年ばかり後、ド・リュイリーの故郷ゲラール村にふたりが移り住むこととなった際、マセットは密かにロンバール通りの店を訪れ、新しい蝋と瀝青を買い入れた。万が一、この先ふたたびこれらの品が必要になったとき、誰にも気づかれることなく事を運ぶことができるようにとの周到な配慮からである。
 果たして、幸せな結婚生活は長くは続かなかった。ゲラールで居酒屋と旅籠を営んでいたふたりのあいだには諍いが絶えず、夫は妻が言うことをきかない、返事の仕方が悪いと言っては罵り、暴力を振るうようになった。この不幸な日々にもはやこれ以上一日も耐えられないと感じたマセットは、一度は驚くべき効果を上げた魔法の、残り半分を試してみることに決めた。ひとり部屋に閉じ籠もり、人形の呪いを実行したマセットは、この度もその著しい効験を目のあたりにした。夫はただちに病に取り憑かれ、突如襲い来る激しい痛みに苛まれるようになったのだ。
 ところが、その後もなお夫の悪罵と暴力はやまなかった。そこでマセットは最後の手段に訴えることにした。庭で見つけたヒキガエルを新しい素焼きの壺に隠し、ひと月ほどのあいだ、パン屑と女の乳で養った。乳は村に住む子守り女に頒けてもらい、雌山羊の乳に混ぜて与えた。それから壺の覆いを取り、何度も針で刺してみたが、思いのほかぶ厚い皮に遮られ、血も毒液も滴らせることはできなかった。
 そうこうするうち、件の宮廷楽人の訪れがあり、その言葉のほのめかしに、自らに疑いの目が向けられることを激しく恐れたマセットは、持ち前の機転を働かせ、たちどころに一計を案じた。なんとしてでもベームの〈聖女〉に頼みこみ、事の真相を明らかにしてもらうよう自ら提案した彼女は、母親が〈聖女〉を連れてくると、夫の容態を見せる前に〈聖女〉とふたりきりになり、これから話すことを決して口外しないと約束させたうえで、自身の行いを洗いざらい告白した。そして〈聖女〉になにがしかの金貨を渡し、どうか、ジルト・ラ・ヴェリエールという女こそが真犯人であると告げて欲しいと懇願した。〈聖女〉はこの頼みを引き受け、人形とヒキガエルを人知れず捨て去るよう忠告した。そして近隣の村々で名高い〈聖女〉の力をすっかり信用した夫は、ジルトが魔法を諦めたと告げられるやいなや快方に向かっていったのだった。
 ところが、事はこれだけでは済まなかった。マセットの魔術のあまりの効き目に驚嘆した〈聖女〉が、自分だけにこっそりとその方法を教えてくれないかと持ちかけてきたのだ。じつはこの〈聖女〉にも、心から結婚を願う相手の男がいた。男とのあいだにはすでにふたりの子供もいたが、男は〈聖女〉に愛情を示しながらも、家柄の違いを気にし結婚に踏み切ろうとはしなかった。マセットにこの頼みを断れようはずもない。蝋と瀝青を混ぜあわせる手順を教えてやったうえ、万一これでうまくいかない場合は、蝋に混ぜて相手に食べさせるため、ヒキガエルの毒を用意しておくと請けあった。まず混ぜものの術を用いて徒労に終わった〈聖女〉が、ふたたびマセットに相談を持ちかけようとしていた折りしも、ド・リュイリーの病の一件でいやが上にも高まった〈聖女〉の評判を聞きつけた当局が捜査の手を伸ばし、〈聖女〉とマセットのふたりはにわかに拘束され、パリのシャトレ裁判所で審問を受けることとなったのだった。はじめは魔術行使の容疑を否認していたふたりだったが、先に〈聖女〉が自白すると、抵抗していたマセットもとうとう罪を認めざるを得なかった。さらにマセットの自宅からは箱に隠した蝋と瀝青が、庭からは伏せた桶の下にヒキガエルが発見されると、これが動かぬ証拠となり、ふたりの女は共に焚刑に処せられてしまったのである。


 如上の裁判記録の末尾には、刑事書記 Al. カシュマレの署名が見える。といっても、「〈赤文書〉」に登場するアレクサンドル・カシュマレではなく、アローム・カシュマレ Aleaume Cachemarée がそのフルネームであることが記録の文中に見えているが、シュウォッブが〈カイロの王女〉の魔術に翻弄される書記の名前を案出する際、この名を参考にしただろうことは疑いない。
 2002年に Phébus 社より刊行された全集の注記は、この作品の背景として、1427年のパリに《浮浪の輩》が現れ、ただちに盗賊もしくは《悪魔崇拝者》と見なされるに至ったという当時の新聞記事を挙げているが、こと中世の裁判を描き出すための特殊な語彙と表現に関しては、かなりの部分をシュウォッブはこの裁判記録から借りている。とりわけ、架台に縛りつけられての尋問の様子など、〈カイロの王女〉自身に関する描写をのぞけば、ほぼそのままに取り入れられている。
 むろん、見るべきなのはこうした些末な引用関係よりも、これだけ剥き出しの欲望にむせかえりそうな、小説よりも奇なる事実から、〈恐怖〉と〈憐れみ〉の詩学を通してドラマの素材を抽出し、そして最後には例によって、女は善悪の彼方を軽やかに走り去り、男たちは軒並み破滅を迎えるという、お馴染みの物語に仕立て上げたその力業であるだろう。そうした意味ではむしろ、上記の概要では触れなかった、ふたりの女が極刑に値するかどうかを判断する審問官たちの逡巡のなかにこそ、〈自己〉が存在するとき必ず生まれる、〈他者〉への恐怖と憐れみのドラマは見てとれるのかもしれない。
 だがそれにしても、この裁判記録を喰い入るように読み耽りながら、新しい作品のアイディアをふくらませるシュウォッブの姿を想像してみるのはなんと楽しいことか。このときばかりは自分もまた、文書館で古写本の頁をめくるシュウォッブその人になった気が少しだけするのである。これもやはり、シュウォッブを読む贅沢のひとつであるには違いない。

 

 

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〈赤文書〉の実物。絞首台の絵が描きこまれている。http://www.archives.cotedor.fr/jahia/Jahia/archives.cotedor.fr/site/adco/pid/4138より

 

〈赤文書〉 le «Papier-Rouge»

 国立図書館にて十五世紀の写本を繙いていた私の目に、ある風変わりな名前が飛びこんできた。その写本には、『悦びの園』にほぼ丸ごと取り入れられた数々の《レー》*1、四人の登場人物による笑劇、そして聖ジュヌヴィエーヴの奇蹟譚が収められていた。だが、私の目を惹いた名が記されていたのは、そこに付された二葉の貼紙の方だった。それは十五世紀前半の日付を持つ年代記の断片であった。気になる一節というのはこうだ。
 《一千四百三十七年、冬の寒さは厳しく、そのうえ雹と豪雨による農作物への被害は、大いなる飢饉をもたらした》
 《加うるに、〈我らが主なるキリスト〉の祭り*2の時節、平野の民らが巴里の街に入城し、田野に悪魔あるいは異国の盗賊の跋扈する由を訴えた。首領バロ・パニに率いられた男女からなる一党は、民を掠奪し、殺した。彼らはエジプトの地の出と称し、固有の言葉を話し、その女らは純朴な民に賭博を教えた。この者らは比類なき盗賊かつ殺人者であり、またまつろわぬ者であった。》
 貼紙の余白にはさらにこう書き加えられていた。
 《件の首領および仲間の浮浪の輩は、パリ司法代官閣下の命により捕らえられ、極刑に処せられた。但し女一名が逃亡した》
 《加うるに、この年、アレクサンドル・カシュマレ師に代わり、エチエンヌ・ゲロワ師が、パリ司法代官裁判所刑事書記として着任したことを記しおく》
 この短い注釈のなにが私の興味を掻き立てたのか、しかと言うのは難しい。首領バロ・パニの名か、1437年、パリ郊外の農村に浮浪の徒が現れたというその事実か、それとも余白の書き入れが暗示する、首領の死刑、女の逃亡、そして刑事書記の交替とのあいだの奇妙な関連なのか。ただ、さらに深くを知りたいという抑えきれない気持ちだけが確かだった。そこで私はただちに図書館をあとにし、川岸に出ると、文書館で調べを進めるため、セーヌに沿って歩を進めた。
 官庁の鉄柵が並ぶマレー地区の狭い路地を抜け、古ぼけた建物の玄関口に立ったとき、ふと我に返った自分がいた。十五世紀の《刑事事件》などろくに記録に残されてはいない……シャトレの裁判記録簿に、連中の名を見つけ出すことができるだろうか?もしかしたら、高等法院に上訴したかもしれない……もしかしたら、〈赤文書〉の死亡記事に出会すだけかもしれない。〈赤文書〉を閲覧した経験はこれまでなかったが、その前にまず他の可能性を探ってみることにした。
 文書館の室内は狭かった。高い窓には古く細かな格子が嵌められていた。書類の束に向かって身をかがめた筆耕たちの姿は機械相手の工員を思わせた。奥の壇上に書見台があり、管理員が室内を見わたしつつつ仕事をしていた。差しこむ光にもかかわらず空気がくすんで見えるのは、古い壁の照り返しのせいだろう。通りの喧噪もここまでは届かない。親指で古写本の頁をめくる紙ずれの音と、ペン先のきしむ音のほかには聞こえるものとてなかった。1437年の裁判記録簿を繙き、最初の頁をめくったとき、私は自分もまたパリ司法代官閣下の刑事書記になった気がした。問題の訴訟には、Al. カシュマレの署名があった。この書記の筆跡は美しく、真っ直ぐ力強いものであった。処刑にあたり最後の告白を聴き入れる、生気に満ちた堂々たる身なりの男の姿が私の脳裏に浮かんだ。
 しかし、浮浪の輩とその首領の事件を追う私の調査は報われなかった。ただひとつ記録されていたのは、《カイロの王女と名乗る女》に対してなされた、魔術と盗みの訴訟であった。その女が例の一味に属することは但し書きに明らかだった。彼女はとある《男爵、夜盗の領袖》−−と調書では呼ばれている−−を伴っていた(この男爵〈バロン〉とは、年代記写本のいうバロ・パニに違いない)。彼は《きわめて繊細かつ洗練された男》であり、痩身に黒い口髭、柄に銀細工を施した短刀を二本腰に佩いていた。《しかして男はつねに〈毒麦〉*3を入れた布袋を持ち歩いていた。その毒は家畜を斃すに用いられ、これを混ぜた餌をはませた雄牛、雌牛、あるいは山羊は、奇怪な痙攣とともに急激な死を迎えるのである》。
 カイロの王女は捕らえられ、パリのシャトレ裁判所へ連行された。刑事代官の審問から、彼女が《二十四もしくはそのほど》の年齢であったことが知られる。花模様をいくつかあしらった羅紗のチュニックを身にまとい、組紐のベルトは金色に彩られていた。人を見る際、黒い瞳を奇矯なほどじっと見据えるところがあり、話す時には言葉を身振りで伝えるかのように、右手を絶えず閉じては開き、指を顔の前にひらめかすのだった。
 彼女はしわがれ声で、歯擦音の強い発音をしていた。審問に答えるあいだじゅう、判事と書記とを口汚く罵った。審問団は、尋問にあたり《自身の口より犯罪を詳らかにさせんがため》、彼女の衣服を脱がせることにした。小さめの架台が設けられ、刑事代官がすべての衣服を脱ぐようにと命じた。だが彼女はこれを拒否し、上衣、チュニックと、《絹織りらしく、またソロモン王の印の縫いとられた》肌着とを、力ずくで脱がせねばならなかった。すると女はシャトレの裁きの間をのたうちまわり、ついでいきなり跳ね起きたかと思うと、唖然とする判事たちの目の前に一糸まとわぬ肢体をあらわした。その立ち姿は黄金の肉身をまとった彫像かと思われた。《そして女を小架台につなぎ、少量の水をその面にかけると、件のカイロの王女は、件の責め苦より解放されんことを乞い求め、知るかぎりの事実を話すと請けあった》。彼女は獄舎の厨房へ連れられ、身を暖めた。《彼処にて女は面を紅潮させ悪魔のごとく狂乱した》。やや落ち着いた後に審問官らが厨房へ赴いたが、もはや彼女は何も言おうとせず、長い黒髪で口もとを覆ってしまった。
 その後彼女はまた裁きの間へ連れられ、大きな尋問台にくくりつけられた。そして《ほんの僅かの水をかけ、また飲ませんとするうちに、口を開いた女は縛めから逃れんことを切に願い、犯した罪の真実を告白すると誓った》。この度は彼女は肌着のほかにはなにも身につけようとしなかった。
 彼女の仲間たちの一部はすでに判決を下されていたに違いない。というのも、シャトレの審問官ジュアン・モータン師が、彼女に対し嘘をついても無駄である、《何となればその恋人、〈男爵〉は他の数名とともに絞首刑に処せられたのであるから》と告げているからだ(記録簿にはこの裁判のことは記されていない)。すると、彼女は猛烈な憤激に駆られ、《この男爵が彼女の夫またはその類のものであり、エジプトの侯爵であり、その名の示すとおり蒼い海からやって来たのである》と語った(〈バロ・パニ〉はロマの言葉*4で《大いなる水》もしくは《海》を意味する)。やがて悲嘆に暮れた彼女は復讐を誓った。ペンを走らせていた書記を睨みつけ、迷信深くも、その文字を仲間たちの滅びの源と信じた彼女は、書記がその紙に《呪符を描くか何かして》仲間たちにおこなったのと同じ目に遭わせてやると誓言した。
 次いでいきなり取調官たちに近づくと、そのうちふたりの胸と喉に触れた。すぐさま手首を抑えられ、縛り上げられたが、彼女はふたりに、今夜恐ろしい苦悶が襲うであろう、またその喉は無惨に切り裂かれるだろうと告げた。ついには泣き崩れ、この《男爵》と、《可哀相なみんな》の名を何度も繰り返し呼んだ。そして刑事代官が審問を再開したとき、彼女はおびただしい盗みを告白した。
 彼女とその一党は、パリ周辺のあらゆる市場町、とりわけモンマルトルとジャンティイーにて掠奪と《偸盗》を働いた。*5彼らは村から村へと徘徊し、夏の夜は秣の下に眠り、冬には石灰窯に宿を求めた。人家の垣の傍らを通るときには、干してあった衣類や布を巧妙に掠め取った。日中は木陰に野営しながら、鍋を繕い、虱を潰した。なかでも信心深い者たちは、潰した虱を遠くに棄てた。実際、彼らはいかなる信仰も持たなかったが、死者の魂が動物の身体に宿るとする古い伝承を守っていた。カイロの王女の命で彼らは、小舎の鶏を袋に詰め、旅籠の錫の食器を持ち去り、麦倉に侵入して蓄えを奪った。村人に追い払われるようなことがあると、王女は夜のうちに舞い戻るよう彼らに命じ、飼い葉桶に《毒麦》を混ぜ、井戸には《敷き布》を縫った拳ほどの袋を投げこみ、水を毒に染めた。
 この告白の後に会議が開かれ、審問官たちの意見は、カイロの王女が《無道極まりない盗賊かつ殺人者であり、疑いなく死罪に値すること、これをパリ司法代官閣下代理の名において宣告すること、そしてこの刑は王国の慣わしに則り執行される、すなわち女は生き埋めの刑に処されること》に一決した。魔術行使の件については保留とされ、翌日あらためて審理が開かれることになれば、その前に審問を行うこととなった。
 だが、記録簿にはジュアン・モータンから刑事代官に宛てた書簡が転載されており、彼がその晩、いかに恐怖に満ちた一夜を過ごしたかを語っている。カイロの王女が指先で触れたふたりの審問官は、刺すような痛みに心臓を貫かれ、暗闇のただ中で目を覚ました。東の空に曙光が射しそめるまで彼らは寝台の上で苦悶に身をよじり、どんよりとした日の出とともに館の使用人が見出したときには、蒼ざめて壁の片隅に身を丸め、ひき攣ったその顔には深い皺が刻まれていた。
 ただちにカイロの王女が引き出された。尋問台に裸身でつながれ、判事や書記の目を眩ませんばかりの黄金の膚に、ソロモン王の印をまとった肌着をよじらせた彼女は、審問官たちを襲った苦悶をその手によって送り出したことを認めた。二匹の《蟾蜍》すなわちヒキガエルが秘密の場所に隠してあり、それぞれ素焼きの大壺に入れられた生き物は、女性の乳に浸したパン屑で養われている。そしてカイロの王女の妹が、犠牲者の名を唱えながら、かの生き物の軀を長い針で貫くと、その口が泡を吹くあいだ、傷のひとつひとつが呪いをかけられた相手の心臓を苛むのだ。
 その後刑事代官はカイロの王女を書記アレクサンドル・カシュマレの手に引き渡し、以降の審理を行うことなく直ちに刑に処するよう命じた。この書記が以上の一件の記録に花押をもって署名している。
 シャトレの裁判記録簿に書かれていたのはここまでだった。カイロの王女の運命について、語ってくれるものはもはや〈赤文書〉しかない。私は〈赤文書〉の閲覧を請求した。司書に手渡されたのは、血の塊を塗りつけたような赤い革表紙の台帳だった。これは死刑の執行記録である。布の綴じ紐は長らく解かれた形跡がない。この台帳はアレクサンドル・カシュマレ書記の所持していたものだった。そこには執行人アンリ師への賛辞が記されていた。刑の執行を命じる文章の脇に、カシュマレ師は、絞首台に吊され苦悶に顔をゆがめた遺骸の素描をひとつひとつ描きこんでいた。
 しかし、ある《エジプトの男爵と異国の盗賊》の処刑記事−−そこにもカシュマレ師は、二連になった絞首台に吊られたふたつの人影を描いていた−−を最後に空白があり、別の筆跡がその後につづいていた。
 以降の頁にもはや素描の類はなく、エチエンヌ・ゲロワ師による次のような注記が記されていた。《本日1438年1月13日、書記アレクサンドル・カシュマレ師は特別審判に付され、パリ司法代官閣下の名の下に、極刑に処された。この〈赤文書〉の所持者であり、徒然なるまま絞首台を描きとどめた刑事書記は、突然の狂気の発作に襲われたのである。そして発作から起き直ると刑場へと赴き、その朝のうちに生き埋めにされ、いまだ息絶えずにいた女を掘り起こした。そして女の示唆によるものかどうかは不明であるが、夜になるとふたりの審問官の部屋へ向かい、彼らの喉を掻き切った。女はカイロの王女と名乗った。この女は現在野に逃亡中であり、いまだ捕えることを得ない。件のAl. カシュマレは自らの犯した罪を告白したが、その意図については口を開こうとしなかった。そして今朝、国王陛下の絞首台へと連行され、死の手に委ねられた。かくてその生の日々はここに終わりを迎えたのである。


訳注

*1:レーは中世フランスに発達した詩の一形式。ケルトに起源を持つと考えられ、物語詩や歌曲のかたちをとる。また『悦びの園』 le Jardin de plaisence は1501年頃にパリで出版された詞華集。672編の中世詩を収める。

*2:十月の最終日曜日。

*3:小麦に似たイネ科の一年草。表面に寄生する菌が毒素を作る。

*4:原文 roumi はロマ(ジプシーの別名)の言語を指すと思われる。現代ロマ語においても、baro pani は「大きな水」を意味する。

*5:15世紀当時のパリは、シテ島を中心に現在の1区から6区までの一部に相当する城壁に囲まれた範囲であった。モンマルトルやジャンティイーはその郊外にあたる。

妖精の洞穴

 「三人の税関吏」の舞台となったのは、ブルターニュ北部の港町、サン=マロ Saint-Malo 付近の海岸である。このあたりは、フランスにおける私掠船の一大拠点だった。この歴史的事実とともに、海の妖精についての昔話を数多く残す海岸部の民俗的風土を、シュウォッブはこの作品でうまくとりあわせることに成功している。
 〈長老〉の口にする科白の中に、妖精の船を追って洞穴を飛び出た狩人云々、という言葉が見えるが、この「洞穴」は原文に la Houle とある。houle といえば普通フランス語では大波、うねりのことだが、ブルターニュの方言では、 houle もしくは goule は海岸の崖に穿たれた洞穴のことを指す。そしてそのような洞穴は妖精たちの隠れ家であると考えられ、〈妖精の洞穴〉と呼ばれた。
 シュウォッブと同時代に生きたブルターニュ民俗学者、ポール・セビヨ Paul Sébillot (1843-1918)は、こうした〈妖精の洞穴〉にまつわる民話を各地で採集し、生涯に遺した多くの著作の中で紹介している。つい最近、それらをひとつにまとめた本が『洞穴の妖精、セイレーンと海の王』の題名で出版された( Fées des houles, sirènes et rois de mer, Editions Ouest-France, 2008)。この本にはブルターニュ北部の海岸地方でセビヨが聞き採った〈妖精の洞穴〉譚が、五十あまりも収められている。
 「三人の税関吏」の背景となった土地の精神的特色を知る上でも、ここにそのうちのひとつを訳出してみるのも無駄ではあるまい。以下は、小説の舞台にもっとも近いサン=テノガ Saint-Énogat に伝わった話である。


妖精の洞穴 La Goule-ès-fées

 ある晩、産婆のミリーおばさんが家の片隅で椅子に腰掛けていると、戸を叩く音がした。
 扉のかんぬきをはずすと、ひとりの老婆が入ってきて、一緒にサン=リュネールの近くまで来て、子宝に恵まれない生き物を助けてやってはくれまいか、と言った。ええ、よろこんで、とミリーは答えた。靴を履き、寒さに備えて小さな肩掛けをはおる。暖炉の火に灰をかぶせて歩き出すと、前を行く老婆はまるで真昼の道を行くように、細道をずんずん進んで行くのだった。
 家を出てもうだいぶ過ぎたころ、ミリーは海が崖の岩に折れ枝を打ち寄せる音を聴いた。
 −−どこまで連れてくの?とミリーは訊いた。〈妖精の洞穴〉へ行くんじゃないでしょうね?昔はよく妖精を見かけたっていう噂の。
 −−そうだよ、ミリー。老婆は答えた。そこへ行こうとしてるところさ。さあ手を取って。怖がらなくっていいんだよ。崖から落っこちて欲しくないだけさ。ついてきておくれ。仕事の相手は、おまえさんとなんにも違いやしないよ。
 ミリーはよっぽど家の片隅か寝床の中でじっとしていれば良かったと思ったけれど、もう後の祭り。見えない道でもあるかのように崖の縁をどんどん進む相手に引っ張られて行くしかなかった。
 ついにふたりは〈妖精の洞穴〉にたどりついた。そこは本当に大きな洞窟で、フレエルの崖の下にあって、天気の良い日には街の紳士連が見物にやってくるプーリフェやサール=ア=マルゴーの洞窟とほとんど変わらないほどだった。寝台の上に若い婦人が横たわり、まわりを女たちが囲んでいた。ミリーの手助けで、ほどなく小さな可愛らしい赤ん坊が生まれた。まるまるとした身体の重みは、七リーヴルと四分の三*1ほどもあるだろうか。いや八リーヴルにあと四分の一と言ってもいい。
 まわりの女たちがミリーに箱を手渡した。中には、半透明の膏薬のようなもの、こう言っちゃなんだが豚のラードみたいなものが入っていた。これで赤ん坊の身体をさすって、その後はようく手を拭くようにと、女たちが言った。そうしないと、お前に不幸が降りかかるからね。
 ミリーは赤子の身体をさすった。そして自分の目をこするふりをして、片方の目の端に膏薬をちょっとつけてみた。とたんに、まわりの光景は一変した。洞窟は八月十五日、被昇天祭の日の教会のように壮麗で、女たちはまるで王女様がたのように派手な衣裳で着飾っている。サン=マロのお金持ち連中のところでも、プルーバレーやプラールテュイやサン=ブリアの城館でだって、こんなに綺麗な光景は見たことがなかった。ミリーは自分のまわりにも、あらゆる種類の小妖精が飛んでいるのを目にした。親指くらいの大きさで、裕福な殿方みたいな服を着て、腰に帯びた剣はまち針ほどの長さもない。
 ミリーはびっくり仰天した。けれどもそれをおくびにも出さず、妖精たちがいいと言うまで赤ん坊をさすりつづけた。彼女らはたっぷりのお金をくれて、ほくほく顔のミリーを家まで送り届けた。
 それからというもの、小道や、畑の囲いや、あちらこちらに、いろんな妖精の姿が見えるようになった。けれどもミリーは何も見えないふりをしていた。ある日、彼女はサン=ブリアの市に出かけた。トレムルーとプリューデュノーの豚商人が、子豚と種豚を売りに来ていた。すると、いたずら者の妖精たちが、可哀相な男をたぶらかし、なけなしの金を掠め取るのが目に入った。それでもミリーは、妖精たちの悪さに目をつぶっていた。ところが午後になって、カルーゼのあたりに人だかりができ、プランコエのソーセージとエショーデ*2の屋台を取り巻いていたとき、一匹の妖精が、頭巾をかぶった女のエプロンのポケットに手を入れるのを見とがめて、泥棒!と叫んでしまった。すると妖精はミリーの方を振り向きざま、あっという間に指で目玉を引っこ抜いた。よけようとする間もなく、ミリーはたちまち片目を無くしてしまったとさ。
(初出 Littérature orale de la Haute-Bretagne, 1881)

 

訳注

*1:1リーヴルは500グラム。

*2:茹でた生地をかまどで焼いて作る菓子。

三人の税関吏 Les Trois gabelous

 《おい、ペン=ブラス、聞こえないか?櫂の音だぞ》〈長老〉はそう言って、干し草の山を払いのけた。その下でいびきをかいているのは、沿岸警備を務める三人の税関吏のうちひとり。眠る男の巨大な頭は防水外套になかば隠れ、眉には干し草の茎が突き立っている。釘止め板の扉の陰になった引っこみに、〈長老〉はランタンの揺らめく灯をかざし、仕切り板の上に寝そべる男を照らした。泥で固めた石積みの壁の隙間から吹きこむ風がひゅるひゅるとささやく。ペン=ブラスは寝返りを打って何ごとかもぐもぐと呟き、なおも眠りつづけた。が、〈長老〉の手に荒々しく押しやられ、仕切り板から転げ落ちると、屋根の叉木の下に、大股を踏ん張り、目を丸くして立ち上がった。
 《何ごとだってんだい、〈長老〉?》男は尋ねた。
 《しっ!聴け……》相手は答えた。
 息をひそめたふたりは、聴き耳を立て、霧雨に煙る闇に懸命に目を凝らした。西から吹く風のあい間あい間に、規則的に水を拍つ静かな音が聞こえた。
 《侵入者だ!》ペン=ブラスが言った。《〈キジバト〉のやつを起こさねえと》
 〈長老〉は外套の袖をかざしてランタンの灯を風から守りつつ、ひしゃげた屋根のごとく断崖の上に這いつくばったあばら屋の壁に沿って進んだ。〈キジバト〉は小屋の反対側、野を望む納戸のつきあたりに寝ていた。干した土と藁とをこき混ぜて木組みの梁を埋めた仕切り壁が、あばら屋をふたつに分けていた。三人の税関吏は、海岸に沿って走る曲がりくねった小道*1に立ち、耳をそばだて、濃密な夜の闇を見透かそうと試みた。
 《たしかに漕ぐ音が聞こえるわ》しばしの沈黙の後、〈長老〉は呟いた。《しかし妙だな。櫂の音にしてはずいぶんくぐもっとるではないか……なめらかすぎるというべきか。パチャパチャという音ではないな》
 ひとときのあいだ、彼らはフードに手をかけ風をよけつつ、その場に立ちつくした。〈長老〉は長いことこの任務に就いていた。こけた頬に白い口髭、しょっちゅう左右に唾を吐くのが癖だった。〈キジバト〉はハンサムな若者で、見回りにあたっていないときなど、夜警課の誰よりもうまく歌を唄った。ペン=ブラスは窪んだ眼に丸々とした頬、鼻は鉤鼻で、片方の眼の隅からだぶついた頸まで、赤紫の痣が走っていた。若い頃国境線で日を送るようになって以来、ついて回った渾名が〈石頭〉。というのもこの男、配給の缶詰を分けあう際など、三分の一を食べておきながら、まだ四分の一だと言うようなふざけたところがあったからだ。そして現在、ケルトの言葉を話すこの地では、その渾名をとってペン=ブラス*2と呼ばれている。彼ら、この三人の税関吏たちは、オー港の警備係であった。オー港はブルターニュの海岸に切り込んだ長い入り江で、サブロンとマン港との中間に位置する。暗い岩壁に挟まれた海が打ち寄せる黒い浜には、腐ったムラサキイガイと爛れた海藻が、うずたかく山をなして眠っている。イングランドから、またしばしばスペインからの密輸船がここへ着岸し、ときにマッチが、地図が、蒸留酒が、砂金を対価にやりとりされる。地平線の奥手には夜警課の白い建物が頭をのぞかせ、その裾は小麦畑の中へ溶けこんでいた。
 夜の闇がすべてを覆っていた。崖の高みからは、海岸線を縁どる水泡の帯と、きらめく波頭の頻りにうち寄せるのが見下ろせた。茶色がかった海の上で目につくものといえば、波のうねりの崩れゆくさまだけだった。三人の税関吏は構え筒の姿勢のまま、崖の上から黒い浜へとつづく小石まじりの小道を駈け降りた。ぬかるみにブーツの足をとられ、鋳鉄の銃身を夜露に濡らしつつ、三つの外套の影は縦列を組んで行進した。道の半ばで立ち止まり、岸の方へ身を乗りだしたその姿が、驚きに打たれ石のように固まった。その目はじっと一点に吸い寄せられていた。
 オー港の崖の口から、海岸に沿って二十鏈*3ほどの先に見えたのは、古めかしい型の一隻の船であった。遣り出しに懸けられた舷灯が、あちらこちらに揺れている。船首の赤い三角帆が、ちらちらと血だまりめいて照らされている。艦載の上陸艇は岸の近くで立ち往生し、見馴れぬ身なりの男たちが、重荷に腰をかがめながら、泥の中に膝まで浸かって岸辺へと向かっていた。何名か、荒織りの外衣と覆面に身を包んだ者どもが、硫黄の火に似た光を放つランタンをかざしている。顔はいずれも見分けかねたが、革の兜と、破れ目のある青や薔薇色の胴衣と、羽根飾りのついた縁なし帽と、膝丈のズボンとシルクの靴下とが、緑がかった光の下で交錯していた。金銀の糸で縫い取りをしたスペイン風のケープの陰で、肩帯や腰紐に取りつけられた七宝のバックルが輝き、短刀の柄や長剣の鐔が光を放った。鉄兜をかぶり、円楯と矛を持った男たちが二列になって、荷物を運ぶ隊列の脇を固めていた。誰もが忙しく立ち働いていた。ある者は崖に向かって火縄銃の筒先を向け、またある者は、海軍士官風の胴衣とマントを身にまとい、鉄の帯を嵌めた縦長の箱を背負って重たげな足取りで進む男たちを、身振り手振りで指揮していた。その立ち回る姿、鎧の金属片は触れあい、矛と矛とがぶつかりあい、人と人とが入り交じり立ち騒ぐその様子にもかかわらず、三人の税関吏の耳にはいかなる物音も届いてはこなかった。彼らのひろがった外套と裾長の衣とが、あらゆる喧噪をおし包んでしまったかのようだった。
 《やつら、スペインから来たにちがいねえ、このごろつきどもめ》ペン=プラスが小声で言った。《後ろから一網打尽にしてやらあ。一発ぶっ放して夜警課の連中呼び寄せてやる。だが今は黙ってこの眼で見てやろうじゃねえか。やつらが荷を降ろすところをな》
 塩気まじりの空に向かって伸びた桑の垣根の陰に身をかがめ、ペン=ブラス、〈長老〉、〈キジバト〉は、小道の果てまで密やかに駆けた。山査子の枝間から朧ろな光がほの見えた。砂浜まで早あと一歩という時、突然光は消え失せた。密輸入者の雑多な群れを見つけだそうと、三人の税関吏がいくら目を皿のようにして見回してみても無駄であった。影すらもなし。死んだように静かな水面まで、彼らは走った。〈長老〉のかざしたランタンの灯が照らしだしたのは、黒い海藻の帯と、ムラサキイガイに絡む藻の腐った山ばかり。とそのとき、泥の中になにかの燦めきが目を撃った。〈長老〉は飛びついた。それは一枚の金貨であった。喰い入るように凝視めた税関吏たちは、それが政府の鋳造したものでない、奇妙な刻印を捺された金貨であることに気づいた。ふたたび彼らは耳をすました。風の流れに乗って、すすり泣くような櫂の音がたしかにまた聞こえた。
 《やつら船を出したぜ》〈キジバト〉が言った。《早いとこスクーナーを出せ。あの船ん中には黄金がいっぱいだ》
 《確かめねばな》〈長老〉が応えた。
 税関の小船がもやいを解かれ、三人はいっせいに飛び乗った。〈長老〉は舵を取り、ペン=ブラスと〈キジバト〉は櫂を手に。
 《わっせい!》ペン=ブラスが言った。《野郎ども、しっかり漕げい!》
 小船は白い波頭の上を飛ぶように走った。オー港の入り江はたちまち、陰になった切れこみでしかなくなった。前方には、一面の波頭が逆巻くブールヌフ湾がひろがっていた。行く手の右側で、赤みがかった光が規則的に点滅していた。小糠雨の切れ間に、光は時おり見え隠れした。
 《夜か。そうだ!》舷灯のほのかな明かりの下で、吹き出ものを掻き毟りながら〈長老〉が言った。《今宵は新月だ。サン=ジルダの岬を回るとなったら、目の玉ひんむいておかねばならんぞ。あの脱税者めら、どこを通るかわかったものか》
 《前方注意!》ペン=ブラスが叫んだ。《あそこだ!》
 三鏈ほど風下に、黒ずんだ船が波に揺られていた。上陸艇はいまは格納されていた。帆を畳み、水の上を滑ってゆく。船首の三角帆だけがはためき、縦揺れのたびに、真紅のその先端を海の波が洗った。喫水の高い船体の板材には隈なく瀝青が塗られ、城砦の黒い壁を思わせた。砲眼の奥に七門の大砲が、赤銅色の口を開けているのが右舷に見えた。
 《わぉ、でけえ!》〈キジバト〉が言った。《力をこめろ!漕ぎまくれ!追いついてみせるぞ。もう三鏈もないぜ》


   ほうら、力を合わせりゃひとつ
   みんなひとつは楽しいな!
   ひとつになってさあ行くぞ
   ひとつになってさあ来たぞ


 だが目指す船は、それとわからぬほど静かに逃げ去ってゆくのだった。あたかも、追われる鳥が羽ばたくことなく空を滑るがごとく。船尾楼が幾度も目前に迫った。舵手はひたすら上甲板を見据えていた。毛織りの縁なし帽をかぶった、落ち窪んだ眼の骸骨のように骨張った人影がいくつも、船縁の手すりに沿って身を乗りだしていた。ぼんやりと赤い光に照らされた船室から、ざわめきと貨幣のぶつかりあう響きが聞こえてきた。
 《くそっ!畜生め》ペン=ブラスが言った。《ちっとも近づきゃしねえ》
 《確かめねばならん》〈長老〉は静かに言った。《言わば、我々は妖精の船を追って洞穴から飛び出た狩人だな》*4
 《狩りなんかじゃないぜ!》〈キジバト〉が叫んだ。《あそこに積んでるのは黄金だ!》
 《間違いねえ、積んでるのは黄金だ》ペン=ブラスが繰り返した。
 《いずれ黄金だろうて。おそらくはな》〈長老〉は応じた。《この仕事に就いたころ、船乗りたちの噂にジャン・フローランの船のことをよく耳にしたものよ。遠い昔の私掠船の船長でな。スペイン王のもとへ護送中だった何百万もの黄金を奪ったというあれさ。その荷がまだ降ろされていなかったのだと考えるほかあるまいな。確かめねばならん。いずれにせよだ》*5
 《そいつは幽霊話じゃねえのかい、爺さん》ペン=ブラスが言った。《そのフローランって奴ぁ、ずっと昔の王様の時代に、海に呑まれたって話だろ》
 《そうとも》〈長老〉は頷いた。《帆桁の先で最後のダンスを踊ったのよ。宙返りして真っ逆さまさ。だが奴の仲間はどこかへ潜ったにちがいない。誰もそいつらを見かけていないからにはな。ディエップでも、サン=マロでも、バスクのサン=ジャン=ド=リュスまでのあらゆる海辺で、やつらは船乗りの中に紛れこんどる。知られた話だ。海の上では、船乗りたちのあいだではな。いや、陸でもだ。奴らがどこかの島を手に入れていないか、誰が知ろう?手頃な島ならいくらでもあるのだからな》
 《ちぇっ!島ときたぜ》ペン=ブラスが言った。《だが、その孫のまた孫ってとこだろ、あの船に乗ってんのは。その何百万だかの黄金を積み降ろそうとしてる奴らはよ》
 《そうかもしれん。だが誰にわかる?》目をしばたたき、舌のできものを押し潰しつつ〈長老〉はせせら笑った。《確かめねばな。奴らめどこかに黄金を隠し、贋金を造るつもりかもしれんぞ》
 《さあてっと》〈キジバト〉が叫んだ。《力をこめて行こうや!漕ぐぞ、めいっぱい漕ぐぞ!この時代遅れの水夫ども、こんにち何が不正に当たるか、とんとご存知ないらしい。俺たちが教えてやらなきゃな。ああ、楽しいねえ!》
 雲の切れ間から、清かな月影が射しこんだ。漕ぎつづけてもう三時間になる。腕の静脈は瘤のようにふくれあがっていた。首からは汗がしたたり落ちた。ノワールムーティエの沖を横切るあいだじゅう、目には風下を逃げゆく巨大なガレオン船の姿が映っていた。その黒い巨軀に舷灯がともり、船首の三角帆は血の染みあとのように見えた。そしてふたたび夜がその戸を閉ざし、黄色い月を隠した。
 《畜生、この野郎!》ペン=ブラスが言った。《もうピリエールも過ぎちまうぜ!》
 《行くぞ、このまま!》〈キジバト〉が歯の隙間から唄いかけた。
 《確かめねばな》〈長老〉がつぶやいた。《海図を出せ。そろそろ外海に出るころだ。ここからは相当吹くぞ。ペン=ブラス、おまえは漕げ!〈キジバト〉、帆綱をゆるめろ!》
 帆に風を孕んだ小型船は、ノワールムーティエとピリエールの間を飛ぶように走った。つかの間三人の税関吏は、円を描いて明滅する灯台の光を目にした。ほのかに光る海の波が、白い稜線に縁どられた岩がちの小島にあたって砕けた。それから、黒い大洋に真の暗闇がやってきた。ガレオン船の曳く澪は、緑の水で織り出した模様の移り変わるリボンのようだった。澪の上にはクラゲの群れが漂っていた。触手をゆらめかせる透明なゼリー。ねばついて透きとおった袋。澄んだ放射状の星。光と粘液の生き物たちの、結晶化した世界。突然、ガレオン船の後部の窓が開いた。歯の折れた口もとをにやつかせ、金色の兜をかぶった頭が、三人の税関吏の方へぬっと出た。痩せた手が一本の黒い瓶を振りまわし、水面へ投げこんだ。
 《おい!》ペン=プラスが叫んだ。《取り舵!瓶が海に落ちたぞ!》
 〈キジバト〉が波に腕を突っこみ、小瓶の首をつかみとった。三人の税関吏は大口をあんぐりと開け、オレンジ色の液体に見入った。波紋が黄金色に浮かびあがった−−またしても黄金。
 ペン=プラスが瓶の首を叩き割り、ぐいぐいとあおった。
 《こいつは古いラムだ》彼は言った。《だがかなりキツイぜ》
 むかつくような匂いが瓶の口から立ちのぼった。三人の仲間たちは、景気づけにと、思うさま飲み干した。
 すると風が起こった。緑のうねりが小型船を縦に横に揺さぶった。櫂は頻波にとらわれた。ガレオン船の航跡はいつの間にか消えていた。四方を海に囲まれて、小船はひとり取り残された。
 ペン=ブラスはまた悪態をつきはじめた。〈キジバト〉は唄いだした。〈長老〉は頭を垂れ何ごとかぶつぶつと呟いた。櫂は波のまにまにたゆたいはじめた。三人の税関吏たちは、右に左に転がりだした。山のような大波が、小船を胡桃の殻さながらに弄んだ。人事不省の税関吏たちは、素晴らしき酔いどれの夢の中へ堕ちていった。ペン=ブラスは黄金の国を見た。アメリカ大陸の沿岸、人々は壺に溢れる柘榴色のワインを飲んでいる。緑なす栗の林に囲まれた小さな白い家にはやさしい妻がひとり。子供たちは大勢並んで、サラダに入れた甘いオレンジを囓っている。ココ椰子の果樹園にラム酒。誰もが平和に暮らすその地に、兵士の姿を見ることはない。
 〈長老〉は、見事な城壁に取り巻かれた円形都市を夢見た。黄金色の葉をしたマロニエの並木に満開の花が咲き誇り、秋の低い陽射しに絶えず照らされている。収税吏はそこで小さなわが家を手に入れ、楽の音が聞こえる城砦の上を散策するだろう。フロックコートには、女房の縫いつけてくれた赤い十字架。長く昇級もない仕事づとめの後で、この美しい隠居生活を、黄金が与えてくれたのだ。
 〈キジバト〉は、蒼い海に縁どられた島へと飛んでいた。ココ椰子の木が満ち潮に浸されている。砂で覆われた海岸を上がると、高い木の立ちならぶ野がひろがっている。その葉は緑の剣を思わせ、血の色をした大きな花はいつまでも萎れることがない。栗色の髪の女たちが草原を横切り、潤んだ黒い瞳で〈キジバト〉を見つめる。海のように蒼い澄んだ空の下、喜びの歌を唄いながら、女たちの赤い唇ひとつひとつにキスをする。黄金で購ったこの島で、彼は〈キジバト〉王となったのだった。
 やがて、海の果てにたなびく黒ずんだ雲のあいだに灰色の太陽が昇り、三人の税関吏たちは夢から醒めた。頭は空っぽ、口に苦みを噛みしめ、目もとは熱に浮かされて。茫漠たる鈍色の大洋の上に、鉛色の空が目路の彼方までひろがっていた。単調な波が船べりを叩いた。冷たい風がしぶきを顔に吹きつけた。小船の奥に陰々とうずくまり、彼らはこの絶望の光景をただ凝視めた。濁った波が藻の塊を押し寄せた。カモメが嵐の予感に鳴きながら飛び交った。波から波を越え、水をかぶってはまた浮き上がり、羅針盤のないスクーナーは運にまかせてつき進んだ。畳んだ上帆に索具の当たる音が響いた。次いで、突風にふくらんだ主帆の、細い帆柱を打つはためきがつづいた。
 暴風雨がやって来て、彼らを南、ガスコーニュ湾の方へと押しやった。細い雨の糸と吹きつける疾風の向こうに、もはやブルターニュの海岸は影もなかった。寒さと飢えに身はふるえ、腰かけた船のベンチは湿気に朽ちていった。砕け散る波が注ぐ水を汲み出す手も、次第に止まりがちになってゆく。飢えに胃袋はよじれ、耳鳴りが彼らを襲った。崩れ落ちる瞬間、三人のブルターニュ人の耳には、脈打つ血の響きにまじり、弔いに鳴るサント=マリーの鐘の音が、たしかに届いたと思われた。
 そして色彩を失った大西洋が灰色の波に乗せ、彼らの黄金の夢、ジャン・フローランのガレオン船と、いまもその船に眠る偉大なるモンテズマの財宝、エルナン・コルテスによって騙し取られ、敬虔なる神のしもべ、スペイン国王陛下のもとへ五分の一税として送られるはずであった黄金の夢を運び去った。転覆したスクーナーの濡れた竜骨のまわりには、巨大なグンカンドリが輪を描いて飛び来たり、大カモメの群れは羽をかすめて旋回しながら、《ガブ=ルー!ガブ=ルー!》*6と叫ぶのだった。


訳注

*1:フランスの沿岸部では「税関吏の小道」 santier des douaniers と呼ばれる道が海岸に沿って張りめぐらされており、密輸を取り締まる税関吏はここを通って監視を行った。

*2:Pen-Brasはブルトン語で「大きな頭」「強い頭」の意。フランス語 Forte-Tête (頑固者、周囲に逆らう者)の直訳。

*3:鏈は120尋または10分の1海里。約185m。

*4:ブルターニュ地方の沿岸部には、海辺の岸壁に開いた洞穴を妖精の隠れ家であるとする伝説が数多く存在する。

*5:ジャン・フローラン Jean Florin (または Fleury )は、ノルマンディー出身の私掠船(敵対国船への攻撃・略取を国王に公認された船舶)船長。1523年、メキシコを征服したエルナン・コルテスがスペインへ向けて送った船をポルトガル沖で襲い、積み荷の黄金を奪うことに成功した。なお、実際のフローランは後にスペインの捕虜となり、1527年、海賊行為の罪によりトレドで絞首刑になっている。

*6:Gab-Lou は税関吏の通称 gabelou をもじったもの。

アルス島への旅(後篇)

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 アルスの古名 Arzh は、ブルトン語で〈熊〉を意味する。ブルターニュ地方に多く残るアーサー王伝説の Arthur も、同じ語源に由来する名前だ。ケルトにおいて、熊はある種の力の象徴であるらしいが、なぜこの島が〈熊の島〉と呼ばれたのかは知らない。かつてはここにも熊が棲息したのだろうか。
 その〈熊の島〉北端の港に降り立った午後、あたりはまだ靄がかった冷たい空気に覆われていた。

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 修道士島に面した島の西縁に沿って歩き出すと、間もなく細い堤防で水際を仕切った潟が現れる。300mほどの堤防の中腹に石造りの小さな小屋があり、側面には水車がとりつけられている。水車脇の堤防には海水の出入りする開口部がある。満潮時に水を溜め、引き潮の際に水車を回す水力を確保するためのものだ。

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 16世紀に建てられたこの水車小屋では小麦が挽かれ、アルス産の小麦粉は他の島や湾岸の村にまで輸出されていたそうだ。18世紀の半ばに、より北寄りのベリューレ Béluréの地に風車が造られると、生産の主力はそちらに移ったが、1910年までは水車も同時に稼働していたらしい。一方ベリューレの風車は、島の反対側のケルノエル Kernoël に建設された新たな風車にとって替わられ、1836年以来使用されなくなっていたという。

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 してみると、シュウォッブの生きた時代、島には一基の水車と二基の風車が存在し、そのうち一基の風車は動いていなかったことになる。シュウォッブの文章には、deux moulins faisaient tourner leurs ailes とあり、moulin はフランス語で水車・風車どちらをも指す(水車は moulin à mer、風車は moulin à vent)ので、二基というのがどれとどれを指すのかが問題だが、羽根を回しているというのだから、この水車と、ケルノエルの風車ということになるのだろう。そこで、訳文では、水車と風車ふたつながら、としておいた。

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 さて、水車小屋の光景を眺めているうち、北の空から雲の合間に青い色が見えはじめた。見る見るうちに灰色の雲は姿を消し、島の中央西端にあたるムーニアン Mounien の岬に着くまでには、さきほどまでの重く沈んだ天候が嘘だったかのような晴天がひろがっていた。

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 岬からは、対岸の修道士島がよく見えた。ほんの数刻前、海上を埋めつくしていた霧はどこにもない。家々の白い壁もはっきりと見える。シュウォッブは、アルス島に上陸した少女とズワーヴ兵が、修道士島の浜から点のように見えたと書いているが、実際それくらいの距離だろう。

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 振り向くと、丘になった中央部の町に、教会の尖った屋根が見えた。婚礼の鐘を鳴らしたのは、あの教会だろうか。
 町への坂道を昇った先にある教会は、小さな島の教会にふさわしく、飾り気のない簡素な建物だった。周りはかつてこの島に生きた人たちの墓に取り巻かれている。黒いスレートのとんがり屋根がいかにもブルターニュ風だ。正面の入り口を飾る彫刻も素朴で愛らしい。

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 パルドン祭の行列は、この教会から出発するそうだ。建物の中にも入ってみたくて赤い扉を押したが、鍵がかかっていたため叶わなかった。

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 町から南側へ降り、海岸を西回りに引き返すことにした。海岸線の多くが林や藪で通りから隔てられている修道士島と違い、アルスではぐるりとひらけた海辺をずっと歩けるようになっている。それが、この島にことのほか明るい印象を与えている。遠浅の海にはあちこちに漁師のボートがつながれ、引き潮の時には牡蠣の養殖棚が水面の下から顔をのぞかせる。暖流と寒流が混じりあう沖合に面し、かつ湾に入れば鏡のように穏やかなモルビアンの海は、絶好の漁場であるに違いない。

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 事実、その晩の宿の食事には、見事な生牡蠣が皿一杯に並べられていた。ヴァカンスを終えたシーズンはずれのこの時期にやって来ることになった巡りあわせに感謝した。鱈のローストを中心にしたメインの皿も盛りだくさんで、食べ終えて満腹した客に向かって、給仕も兼ねるオーナーシェフが、「お次はゴエモンのサラダです」と冗談を飛ばすのが可笑しかった。

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 島の南端をまわって北へ折り返した少し先に、突き出た砂州の先の土地が、修道士島へ接近している箇所がある。道沿いに眺めると、いまにも岬同士が触れあいそうなほど近くに見える。いや、実際にくっついていた、という話があるのだ。
 地元で売っているガイドブックの類を開くとたいてい載っている伝説によれば、その昔、アルス島と修道士島とは一筋の道でつながっており、住民は足を濡らすことなく互いに往き来ができたという。そんなある時、修道士島の富裕な船乗りの家の息子が、アルス島の貧しい漁師の娘と恋に堕ちた。これに怒った青年の両親は、息子を島の僧院に幽閉してしまう。しかし、娘は毎晩欠かすことなく、海上の細道を渡って向かいの島に通い、僧院の壁の下で見えない恋人のために歌を唄った。娘のこの振る舞いに苛立った僧院長は、海の精霊の力に訴える手段に出た。一夜、娘がいつものように恋人のもとへと急いでいると、にわかに大波が襲いかかり、島をつなぐ隘路を打ち砕いてしまった。娘は波に呑みこまれ、以来、ふたつの島は海に隔てられることになったのだった。

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 伝説のヴァージョンによっては、アルス島の青年と修道士島の娘とのあいだの出来事だったとするものもある。いずれにせよ、どちらの島にもかつて僧院が実在したという話は聞かない。それでも、島の人々は、いまも島と島との境の海に、娘の歎き声を聞くことがあるという。

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 島の伝説では、娘の身の上には哀しい結末が待っていたが、反対に「アルスの婚礼」では、少女は見事に思いを遂げた。ズワーヴ兵の乗った舟へと一瞬で飛び移る少女の姿は、恋などといった言葉では捉えきれない軽やかさに満ちている。島に生まれた娘とは逆に、流れ者の少女はどんな人間同士のしがらみにも煩わされることなく、ただただ無垢な希望を追って、束の間の友となった語り手の指先からするりと抜け出していってしまうのだ。

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 野性的ではあってもあくまで純粋で汚れなく、手を伸ばしても風のようにつかみどころのない少女は、さまざまな相貌の下に、シュウォッブの多くの作品の中に現れる。「アルスの婚礼」の少女もまた、シュウォッブが生涯理想の中に追い求めた幻の化身であっただろう。

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 水車小屋のある堤防まで戻る頃には潮はすっかり満ち、さきほど潟の所々に見えていた叢はみな水の底に沈んでいた。小屋を通り過ぎ、後の水車をふり返ると、向こう側の西南の海に、太陽が傾いてゆくところだった。明日からは冬時間の始まり、夏の時間がこれで終わる。小説の結末と同じように、ここでも夕陽が水車を赤く縁取っていった。

アルス島への旅(前篇)

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 モルビアン湾は、ブルターニュ南部の大西洋に面した入り海である。東西20kmあまり、南北に10kmあまりの湾内の広さにくらべ、湾を抱きかかえるように向きあうふたつの半島に挟まれた外海への出口は、約700mほどの幅しかない。湾と言うよりも沿海の湖と言った方が良いくらいの穏やかな水面に、シュウォッブが「アルスの婚礼」で描いたアルス島 île d'Arz や修道士島 île aux Moines をはじめとする数十の小島が浮かび、さながら箱庭の中の多島海といった相貌を呈している。

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 湾の最も内奥に位置する港町ヴァンヌ Vanne は、ブルターニュ風の黒いスレート葺きの屋根や、彩色された木組みの梁を見せる中世の家並みを残す街だ。通りのあちこちにはブルターニュ名物のクレープ屋があり、テーブルの上には必ず林檎酒を入れるボル(取っ手のついた陶製の椀)が置いてある。そんな店のひとつを覗いていると、向かいの店先に木靴の束が積み上げられているのが目に止まった。シュウォッブの小説の少女が履いていたのも、このような木靴だったのだろうか。なるほどたしかに大きくてぶ厚い靴だ。これを履いて海辺の岩場を歩くのはさぞ難儀することだろう。

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 湾内でもっとも大きな島である修道士島へ渡る定期船は、ヴァンヌから西へ車で15分ほど走った先にある、〈白い港〉Port Blanc という名の小さな港から出ている。港の埠頭からは、修道士島がほんの目と鼻の先に見わたせる。その間の距離はせいぜい400mといったところか。
 修道士島はちょうど十字架のような形をしていて、横木にあたる短辺が約3km、長辺が約6kmある。その短辺の西端が〈白い港〉と向き合い、反対の東端は隣のアルス島と向き合っている。アルス島との距離は800mほど。一方、陸から直接アルス島に渡るとなると、もっとも近い場所からでも1.4kmばかりある。静かなモルビアン湾の中とはいえ、アルス島へ渡るには修道士島を経由するのがもっとも確実な方法だったのだろう。まして西のバーデン Baden 方面からアルス島を目指せば、自然、修道士島が海上の通廊の役目を果たすことになるのである。「アルスの婚礼」の語り手が、バーデンのはずれから修道士島を経て、アルス島の見える浜へと至った経路がかくて納得される。

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 だが〈白い港〉から眺めると、アルス島は完全に修道士島の陰になって、見ることはできない。反対の方角には、たしかにシュウォッブが記すように巨石文明の遺跡がのこるガヴリニス島があるのだが、こちらも手前の島影に隠れて見えない。「アルスの婚礼」に描かれた風景は、実際には語り手が桟橋へ降りる前に馬を止めた丘の上から見たものだったのだろうか。

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 朝の港で船を待つあいだ、岩場の辺りを見回してみると、おびただしい量の海藻がいたるところに打ち寄せられていた。この後、湾内のあちこちで見かけることになるのだが、ホンダワラに似て気泡を持った海藻で、ブルターニュやノルマンディーの海岸地方ではこれをゴエモン goémon と呼び、燃料に用いるそうだ。ゴエモン、五右衛門……シュウォッブの作品にも時折登場するこの言葉、日本人には耳慣れたその響きからすぐに覚えてしまった。

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 修道士島での道行きで、主人公たちは村の狭い路地や、野中の石壁に挟まれた長い通りを歩いた、とシュウォッブは書いている。この後者(原文 les longs corridors entre les murailles des champs)が具体的にどのようなものを示すのかいまひとつわからなかったのだが、その疑問は実際に修道士島に降り立ってみて氷解した。

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 修道士島では、民家の敷地は必ず低い石積みの壁で通りと隔てられている。道に面して家屋が密集するヴァンヌの街ではこういうことはない。むしろヴァンヌのような街並みがフランスでは普通だ。この石壁が修道士島を特徴づける景として選ばれたのもうなずける。

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 民家の周囲だけでなく、中心部を離れた島端の広い野原や、林檎の木を植えた果樹園などもみなこうした石壁で仕切られている。まさに野中の石壁といったところだ。修道士島への渡し船を待つ場面に、崩れた石積みの壁 murs des pierres sèches en ruine とあるのもこれだろう。pierres sèches とは、モルタルなどの目地止めを用いず、石だけを積み上げる建築法のことだそうだ。

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 村の狭い路地というのはまさにその通りで、中高になった島の中心部では、家と家のあいだを曲がりくねった小道が走っている。時折、藁葺き屋根の民家を見かけたが、他の場所では同じような家にはお目にかからなかった。この島独特のものなのかもしれない。

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 シュウォッブは、こうした風景を実際目にしたのだろうか。ピエール・シャンピオンの伝記『マルセル・シュウォッブとその時代』によれば、シュウォッブは十代の終わりにヴァンヌで兵役を経験しているから、自ら訪れる機会もあったのだろう。そうでないと、ここまで具体的で的確な細部の描写はちょっと説明できない。そうした具体的な細部の積み重ねが、幻想的で想像上の時や場所を舞台とすることの多いシュウォッブの小説にあって、この作品に異質な光彩を与えている。

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 小説には、島を訪れた二人を迎える犬のことが書かれているが、本当に通りを歩いていると犬を良く見かけた。船を降りた港のそばで出会った野良犬は、村の路地をしばらく先に立って案内してくれた。しかし、黒いヴェールに顔を隠した娘たちを見かけることは、今ではもうない。島へ渡る際に同船した村の娘らしき金髪の少女は、ピンクのセーターとジーンズに身を包み、隣に座った少年が話しかけるたび、「静かにして!ほっといて!」とからかうように繰り返していた。

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 アイルランドブリテン島南部と同じく、古い巨石文明の痕跡を残すブルターニュの地らしく、島には石の遺跡が多数保存されている。いまは林檎酒の製造所になっている敷地の中に、環状列石の建ち並ぶ姿を見ることができた。島の南端へ向かう道はドルメン通りと呼ばれ、他にもいくつかの遺跡が点在しているが、困ったことに案内板の類は一切なく、また遺跡のある場所も個人の私有地であることが多く、見つけ出すのは容易ではない。遺跡を探しているうちに、石壁の道を大分隈なく歩かされる羽目になった。おかげで、午後早くまでに終えるはずの訪問予定を消化しきれず、翌日の午前、アルス島へ渡る前にあらためてもう一度立ち寄ることにした。次に訪れるつもりのガヴリニス島へは、この時期には午後からしか連絡船が出ていないため、そちらを優先する必要があったからである。

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 ガブリニス島は無人の小島で、紀元前3500年頃の墳墓が石塚のかたちで遺されている。〈白い港〉よりさらに西のラルモール=バーデン Larmor-Baden から、小さな連絡船で渡ってゆく。個人で船を持っていればそれで渡ってもかまわないらしいが、遺跡を見学できる時間は決められていて、フランス語でのガイダンスにしたがって見なければならない。このガイドというのが、小一時間ほどの見学時間のうち、半分以上を遺跡の外に立って説明するものだから、陽の傾きはじめた十月の海風が身に堪えた。とはいえ、Gavrinis はフランス語風にガヴリニではなく、ガヴリニスと発音することが確認できたのは収穫だった。もともとケルト語系のブルトン語に由来する名前なので、発音も通常のフランス語とは違うのだろう。

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 ようやく案内されて入ることのできた石塚の内部は、入り口側の羨道から奥の円形墓室までずっと、壁を一メートル半ほどの高さの石版で覆われており、その表面には同心円を基調とした幾何学模様がびっしりと刻みこまれている。残念ながら撮影は禁じられていたが、円の周縁からまた別の円があたかも生え萌していくような形象には、たしかにある種の生命力のようなものが感じられた。

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 なぜこのような遺跡がガヴリニスのような小島にあるのかといえば、今から5500年の昔には、このモルビアン湾一帯がまだ陸地だったからだそうだ。つまり、当時まだ島をとり巻く海はなく、内陸から人も石も、そして文明も容易に運ばれてきたということだったらしい。そうして造られた遺跡のあるものはいまこうして島の上に残り、あるものは海に沈んで誰にも知られず眠りつづけているのだろう。

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 翌朝、ふたたび訪れた修道士島は深い霧に沈んでいた。今回は脇目もふらず、シュウォッブの描いた道を辿って、西端から東端へと島を横断した。3kmの横幅を貫く道のりの先に、あのズワーヴ兵が寝そべっていたであろう砂浜が現れた。だが、その向こうに間近く見えるはずのアルス島は、一面の霧に包まれて影さえ見えなかった。主人公の目に映った景色を自分の目にとどめておきたくて、冷たい風の吹く海岸で小一時間ほど霧の晴れるのを待ったが、時とともに白い闇は深まるばかり。一度だけ、外海からの風がわずかに垂れ籠める霧の裾を持ち上げかけたが、それも束の間、朧ろな面影はまたすぐ深いヴェールの奥に閉ざされてしまった。

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 こればかりはやむを得ない。諦めて港へ踵を返すことにした。アルス島はすぐそこにあるはずだが、ここから旅客用の船は出ていないのである。アルスへ渡るには、ふたたび〈白い港〉からヴァンヌの近くまで戻らなければならない。大変な遠回りだ。小説の語り手のように、アルス島へ伴ってくれる渡し守を待ちたいところだが、そういうわけにもいかない。

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 とぼとぼと帰りの道を歩いていると、曲がり角の向こうから一台のスクーターが現れた。ハンドルを握っていたのは、あの船に乗っていた金髪の少女だった。後の荷台には隣にいた少年がまたがり、しがみつくように少女の腰に手を回していた。少女はこちらには目もくれず、真っ直ぐ前だけを見つめて走り去った。いまどきの修道士島では、少女が少年の手を引いてやることになったようだ。そういえば、「大地炎上」のふたりもそうだったではないか。こんな光景もまた、きっとシュウォッブのお気に召したことだろう。